師導古典を学びたいすべての人に

驢鞍橋 / 卷上

一日去る僧云ふ、何某殿は殊の外利根人也。志も少し有り、敎化有るべし。師曰く、あれほど利根にては佛法に入られてこそ。亦僧曰、誠に利根に碍られて聞き得べからす。師曰、其儀にあらず、夫れは隨分聞くべし。然れども何と聞きてもあの利根すたるべからす、聞くほと利根增して、利根佛法に成つて果すべし。扨佛法と云ふは鈍をも利根をも打捨つる事也。

新字:一日去る僧云ふ、何某殿は殊の外利根人也。志も少し有り、教化有るべし。師曰く、あれほど利根にては仏法に入られてこそ。亦僧曰、誠に利根に碍られて聞き得べからす。師曰、其儀にあらず、夫れは随分聞くべし。然れども何と聞きてもあの利根すたるべからす、聞くほと利根增して、利根仏法に成つて果すべし。扨仏法と云ふは鈍をも利根をも打捨つる事也。

書き下し

一日去る僧云ふ、何某殿は殊の外利根人也。志も少し有り、教化有るべし。師曰く、あれほど利根にては仏法に入られてこそ。亦僧曰、誠に利根に碍られて聞き得べからす。師曰、其儀にあらず、夫れは随分聞くべし。然れども何と聞きてもあの利根すたるべからす、聞くほと利根增して、利根仏法に成つて果すべし。扨仏法と云ふは鈍をも利根をも打捨つる事也。

現代語訳

ある日、ある僧が言った。某殿はことのほか利口な人です。志も少しあります。教化なさるべきです。師は言われた。あれほど利口では、仏法に入られるものか。また僧が言った。本当に、利口さに妨げられて聞き得ないでしょう。師は言われた。そうではない。それは十分に聞くだろう。けれども、どう聞いても、あの利口さは捨てられないだろう。聞くほど利口さが増して、利口仏法になって終わってしまうだろう。さて仏法というのは、鈍さも利口さも打ち捨てることである、と。

解説

頭のよい人ほど仏法に入りにくい、と正三は言う。理解できないからではなく、よく理解してしまうからだ。聞けば聞くほど賢さが増し、賢い仏法になって終わってしまう。仏法とは鈍さも賢さも捨てることなのに、賢さを捨てられない、と。有能な人ほど新しい知識を自分の賢さの飾りにしてしまい、根本から変わることが難しい、という鋭い洞察である。優秀さそのものが成長の壁になる場合があることを教えている。

この章句が説くこと

利根賢さ学び変容知識

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる