驢鞍橋 / 卷上
一日普請の時、衆僧筒撞に草臥たるを見て、示して曰く、何と御坊主達、誦經より爲し易しや。是れを以てよう思知れ、少しの間の誦經抔を大儀と思ふへからす。世間の者は日々にかやうの苦勞を爲し、世を過ぎる也。出家なま通例に誦經抔してよかるべからず。亦晩に至りて曰く、普請は好き業障盡し也。業障を盡さねば修行上からすと也。
新字:一日普請の時、衆僧筒撞に草臥たるを見て、示して曰く、何と御坊主達、誦経より為し易しや。是れを以てよう思知れ、少しの間の誦経抔を大儀と思ふへからす。世間の者は日々にかやうの苦労を為し、世を過ぎる也。出家なま通例に誦経抔してよかるべからず。亦晩に至りて曰く、普請は好き業障尽し也。業障を尽さねば修行上からすと也。
書き下し
一日普請の時、衆僧筒撞に草臥たるを見て、示して曰く、何と御坊主達、誦経より為し易しや。是れを以てよう思知れ、少しの間の誦経抔を大儀と思ふへからす。世間の者は日々にかやうの苦労を為し、世を過ぎる也。出家なま通例に誦経抔してよかるべからず。亦晩に至りて曰く、普請は好き業障尽し也。業障を尽さねば修行上からすと也。
現代語訳
ある日、普請(寺の工事)のとき、僧たちが杵つきに疲れ果てているのを見て、示して言われた。どうですか、御坊主たち、誦経よりやりやすいですか。これでよく思い知りなさい。わずかの間の誦経などを大儀と思ってはならない。世間の者は毎日このような苦労をして世を過ごしているのである。出家が中途半端に誦経などしていてよいはずがない。また晩になって言われた。普請は良い業障尽くしである。業障を尽くさなければ、修行は上達しない、と。
解説
寺の工事で杵をつき、くたくたになった僧たちに、正三は、世間の人は毎日こういう苦労をしているのだ、と語る。お経を読むくらいで大儀がっている出家への戒めである。そして、肉体労働こそ良い修行だと言う。正三は、農民は農業、職人は仕事そのものが仏道の修行になると説いた人で、この条にもその考えがよく表れている。机上の仕事に慣れた人が、現場の苦労を体で知ることの意味を教えてくれる。
この章句が説くこと
作務労働業障現場職業即仏行普請
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