驢鞍橋 / 卷上
一日人來り、何を承りても覺ねぬに仍りて修行仕り得ずと云ふ。師聞て曰く、扨も能き事也。一物をも覺えぬを佛法と云ふ也。是れに仍りて覺えて置く事を嫌ひ捨て、只念佛を以て胸の中の塵ほこりを拂捨て拂捨てする事を勤めさする也。如是勤めて佛法世法共に忘れ果て、はらりつと手を打叩いた如くに成るを成佛と云ふ也。
新字:一日人来り、何を承りても覚ねぬに仍りて修行仕り得ずと云ふ。師聞て曰く、扨も能き事也。一物をも覚えぬを仏法と云ふ也。是れに仍りて覚えて置く事を嫌ひ捨て、只念仏を以て胸の中の塵ほこりを払捨て払捨てする事を勤めさする也。如是勤めて仏法世法共に忘れ果て、はらりつと手を打叩いた如くに成るを成仏と云ふ也。
書き下し
一日人来り、何を承りても覚ねぬに仍りて修行仕り得ずと云ふ。師聞て曰く、扨も能き事也。一物をも覚えぬを仏法と云ふ也。是れに仍りて覚えて置く事を嫌ひ捨て、只念仏を以て胸の中の塵ほこりを払捨て払捨てする事を勤めさする也。如是勤めて仏法世法共に忘れ果て、はらりつと手を打叩いた如くに成るを成仏と云ふ也。
現代語訳
ある日、人が来て、何をうかがっても覚えられないので、修行ができません、と言った。師は聞いて言われた。なんとも良いことだ。一つも覚えないのを仏法というのである。だから、覚えておくことを嫌って捨て、ただ念仏によって胸の中の塵や埃を払い捨て払い捨てすることを勤めさせているのである。このように勤めて、仏法も世法もともに忘れ果て、はらりと手を打ち叩いたようになるのを成仏というのである、と。
解説
教えを聞いても覚えられないと嘆く人に、正三は、覚えないことこそ仏法だと答える。知識をため込むのではなく、胸の中の塵を払い続けること、仏法も世法も忘れ果てることが成仏だ、と。記憶力のなさを悩む人への慰めであると同時に、知識を積み上げることを修行と取り違える風潮への批判にもなっている。学びとは足していくことだけでなく、余計なものを払い捨てていくことでもある、という視点を与えてくれる。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
忘れる知識引き算念仏成仏記憶
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