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驢鞍橋 / 卷下

良有て曰く、內々聞きしこと、其地の修行者衆、我物語を聞き得たる人一人も□なし、皆違つて居ると云ふ。何れも我前にては聞かるゝやうなれども、或は法語々錄等を見て、人人佛法を修し、我法を修する人なし。しかも我物語をも、是等と一つに思へり。我云ふはずつきと別也。只牙咬をして死ぬこと一つを窮むること也。誠に若き時より八十迄如是用ゐ來る計也。更に佛法に非ず。我もそつと若くんば、其地へ上り、我物語を聞きし人人に往き逢ひ、正三か物語を聞きたと云ひめさるゝな、皆ちかへり必す沙汰めさるゝな。正三が沙汰ふつゝといやなりと云ひ渡し度思ふと也。

新字:良有て曰く、内々聞きしこと、其地の修行者衆、我物語を聞き得たる人一人も□なし、皆違つて居ると云ふ。何れも我前にては聞かるゝやうなれども、或は法語々録等を見て、人人仏法を修し、我法を修する人なし。しかも我物語をも、是等と一つに思へり。我云ふはずつきと別也。只牙咬をして死ぬこと一つを窮むること也。誠に若き時より八十迄如是用ゐ来る計也。更に仏法に非ず。我もそつと若くんば、其地へ上り、我物語を聞きし人人に往き逢ひ、正三か物語を聞きたと云ひめさるゝな、皆ちかへり必す沙汰めさるゝな。正三が沙汰ふつゝといやなりと云ひ渡し度思ふと也。

書き下し

良有て曰く、内々聞きしこと、其地の修行者衆、我物語を聞き得たる人一人も□なし、皆違つて居ると云ふ。何れも我前にては聞かるゝやうなれども、或は法語々録等を見て、人人仏法を修し、我法を修する人なし。しかも我物語をも、是等と一つに思へり。我云ふはずつきと別也。只牙咬をして死ぬこと一つを窮むること也。誠に若き時より八十迄如是用ゐ来る計也。更に仏法に非ず。我もそつと若くんば、其地へ上り、我物語を聞きし人人に往き逢ひ、正三か物語を聞きたと云ひめさるゝな、皆ちかへり必す沙汰めさるゝな。正三が沙汰ふつゝといやなりと云ひ渡し度思ふと也。

現代語訳

しばらくして言われた。うすうす聞いていたことだが、そちらの地の修行者たちで、私の話を聞き得た人は一人も□ない、みな違っている、と言う。誰も私の前では聞いているようだが、あるいは法語や語録などを見て、人それぞれの仏法を修め、私の法を修める人はいない。しかも私の話も、これらと同じものだと思っている。私の言うことは、ずっと別である。ただ歯を食いしばって、死ぬこと一つを究めることである。本当に若いときから八十まで、このように用いてきただけである。まったく仏法ではない。私がもう少し若ければ、そちらへ上って、私の話を聞いた人々に会い、正三の話を聞いたと言ってはならない、みな違っている、決して噂をしてはならない、正三の噂はふっつりと嫌だ、と言い渡したいと思う、と。

解説

自分の話を聞いた人々が、他の法語や語録と混ぜて自己流の仏法にしてしまい、誰も本当に理解していない、と正三は嘆く。自分の教えはただ歯を食いしばって死ぬこと一つを究めることで、仏法ですらない、と。もっと若ければ、その人々に、正三の話を聞いたと言いふらすな、と言いに行きたい、とまで言う。教えが誤解されて広まることへの危機感と、自分の名前が独り歩きすることへの強い拒否感がにじむ条である。

この章句が説くこと

誤解伝承独り歩き死を究める危機感

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