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驢鞍橋 / 卷上

師又曰く、其方の振は佛法を持たれたり出しめされよ。彼者、少しも存せずと云ふ。師曰、いやいや一物有り、早々出しめされよと責め給ふ。時に彼者去る和尙より趙州洗鉢盂の話を授かり、脫体に入りかゝり候と云ふ。師曰く、三寳とて世人の寳と成る僧が、還つて左も無き事を授けて、人を損ふと是非も無き事也。夫れ言句に徹すると云ふ事も無きには非ず、縱ひ微したりとも、餓鬼畜生の心は休むへからす。我も私見性少し有れども何の用にも立たす、結句今時見性したりと云ふ人は、大形人惡く成る也。其方も只土に成て念佛修行せらるべし。彼者問、修行とはいかなる事なりや。師答て曰、我を盡す事也。又問、土にはなにと成り候や。師答て曰、其方が胸の中の知解妄想を悉く打捨て、南無阿彌陀佛南無阿彌陀佛と道理を申しけし、我を申しけして、虛空一枚に成るを土に成て成佛する修行と云ふ也。

新字:師又曰く、其方の振は仏法を持たれたり出しめされよ。彼者、少しも存せずと云ふ。師曰、いやいや一物有り、早々出しめされよと責め給ふ。時に彼者去る和尚より趙州洗鉢盂の話を授かり、脫体に入りかゝり候と云ふ。師曰く、三宝とて世人の宝と成る僧が、還つて左も無き事を授けて、人を損ふと是非も無き事也。夫れ言句に徹すると云ふ事も無きには非ず、縦ひ微したりとも、餓鬼畜生の心は休むへからす。我も私見性少し有れども何の用にも立たす、結句今時見性したりと云ふ人は、大形人悪く成る也。其方も只土に成て念仏修行せらるべし。彼者問、修行とはいかなる事なりや。師答て曰、我を尽す事也。又問、土にはなにと成り候や。師答て曰、其方が胸の中の知解妄想を悉く打捨て、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と道理を申しけし、我を申しけして、虚空一枚に成るを土に成て成仏する修行と云ふ也。

書き下し

師又曰く、其方の振は仏法を持たれたり出しめされよ。彼者、少しも存せずと云ふ。師曰、いやいや一物有り、早々出しめされよと責め給ふ。時に彼者去る和尚より趙州洗鉢盂の話を授かり、脫体に入りかゝり候と云ふ。師曰く、三宝とて世人の宝と成る僧が、還つて左も無き事を授けて、人を損ふと是非も無き事也。夫れ言句に徹すると云ふ事も無きには非ず、縦ひ微したりとも、餓鬼畜生の心は休むへからす。我も私見性少し有れども何の用にも立たす、結句今時見性したりと云ふ人は、大形人悪く成る也。其方も只土に成て念仏修行せらるべし。彼者問、修行とはいかなる事なりや。師答て曰、我を尽す事也。又問、土にはなにと成り候や。師答て曰、其方が胸の中の知解妄想を悉く打捨て、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と道理を申しけし、我を申しけして、虚空一枚に成るを土に成て成仏する修行と云ふ也。

現代語訳

師はまた言われた。あなたの様子は仏法を持っておられる。出しなさい。その者は、少しも存じません、と言う。師は言われた。いやいや、一つ持っている。早く出しなさい、と責められた。そのときその者は、ある和尚から趙州洗鉢盂の話を授かり、悟りに入りかかっております、と言った。師は言われた。三宝として世の人の宝となるべき僧が、かえってつまらないことを授けて人を損なうとは、仕方のないことだ。言葉に徹するということもないわけではない。たとえ少し分かったとしても、餓鬼畜生の心は休まないだろう。私も自分なりの見性が少しあるが、何の役にも立たない。かえって今どき見性したという人は、たいてい人柄が悪くなる。あなたもただ素人になって、念仏修行をしなさい。その者が尋ねた。修行とはどういうことですか。師は答えて言われた。我を尽くすことである。また尋ねた。素人とは何になるのですか。師は答えて言われた。あなたの胸の中の知解や妄想をことごとく打ち捨てて、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と、道理を申し消し、我を申し消して、虚空一枚になるのを、素人になって成仏する修行というのである、と。

解説

何も持っていないと言う俗人の様子から、正三は何か隠し持っている慢心を見抜き、出させる。すると、ある和尚から公案を授かって悟りかけていると言う。正三は、中途半端な悟りを授けて人を損なう僧を嘆き、今どき見性したという人はたいてい人柄が悪くなる、と言い切る。修行とは我を尽くすこと、素人になるとは知識も妄想も捨てて虚空一枚になることだ、と。少し分かった人ほど傲慢になる危うさを突いている。

この章句が説くこと

見性慢心素人我を尽くす知解公案

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