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驢鞍橋 / 卷下

一日、山居を好む者に示して曰く、修行は世間にあつて仕たるか好き也。山中には必ず成佛せば、二十年山にある一角仙人、何として女人を頸に乘せて山を出てたりや。今時の山居者、結句一角仙人程の修行もあるべからす。大略世間の者を非に見下し、我獨り能く成り罪を作り居るつれ計なるべしと也。

新字:一日、山居を好む者に示して曰く、修行は世間にあつて仕たるか好き也。山中には必ず成仏せば、二十年山にある一角仙人、何として女人を頸に乗せて山を出てたりや。今時の山居者、結句一角仙人程の修行もあるべからす。大略世間の者を非に見下し、我独り能く成り罪を作り居るつれ計なるべしと也。

書き下し

一日、山居を好む者に示して曰く、修行は世間にあつて仕たるか好き也。山中には必ず成仏せば、二十年山にある一角仙人、何として女人を頸に乗せて山を出てたりや。今時の山居者、結句一角仙人程の修行もあるべからす。大略世間の者を非に見下し、我独り能く成り罪を作り居るつれ計なるべしと也。

現代語訳

ある日、山住まいを好む者に示して言われた。修行は世間にあってするのがよい。山の中で必ず成仏するなら、二十年山にいた一角仙人は、どうして女性を首に乗せて山を出たのか。今どきの山住まいの者は、かえって一角仙人ほどの修行もないだろう。たいていは世間の者を非と見下して、自分一人よくなって、罪を作っている類ばかりだろう、と。

解説

山にこもって修行したがる者に、正三は、修行は世間の中でするのがよい、と言う。二十年山で修行した一角仙人も、美女に惑わされ、背に乗せて山を下りてしまったではないか、と。世間を離れれば清らかになれるというのは幻想で、かえって世間を見下す慢心の罪を作る。職場や家庭の煩わしさから逃げて理想の環境を求める人に、修行の場は日常の中にあると示す、正三の在家重視の姿勢がよく出た条である。

この章句が説くこと

在家世間山居一角仙人慢心日常

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