驢鞍橋 / 卷下
師一日、去る處に至り物語の次に曰く、人間の一生涯ほど詮なき物なし。如何なる病をか受け、如何なる死をか爲し、まだ此の身に如何なる業か有らんす。扨て扨て大義の物哉也と。時に其處の內儀これを聞て、ひしと受けられたり。常々病者なるか、扨ても因果の業体を受け來ること哉。我身また如何なる業か有らんと思ふより、心切に成り、是非是非業を盡くさんと云つて、咒をくり經をよみ、身を扣きつねり、肉のつぐろ死するほどして、念佛經咒を以てひたせめに責められたり。十日ほど如是して、一晩、持佛堂にて罪業を懺悔し居られけれは、ふと死苦に責められ、その機抜けす、眞實起る也。又業体を使ひ殺さんと云て人を使はす、我身を使ひ、扨てもいやな御上樣やと云て、內の者どもと一つに働き、工夫一偏に勤むる人有り。去る程に頓て病も拔け、女氣なく男の樣にそ見えたり。師是れを眞實の修行者とし給ふ也。
新字:師一日、去る処に至り物語の次に曰く、人間の一生涯ほど詮なき物なし。如何なる病をか受け、如何なる死をか為し、まだ此の身に如何なる業か有らんす。扨て扨て大義の物哉也と。時に其処の内儀これを聞て、ひしと受けられたり。常々病者なるか、扨ても因果の業体を受け来ること哉。我身また如何なる業か有らんと思ふより、心切に成り、是非是非業を尽くさんと云つて、咒をくり経をよみ、身を扣きつねり、肉のつぐろ死するほどして、念仏経咒を以てひたせめに責められたり。十日ほど如是して、一晩、持仏堂にて罪業を懺悔し居られけれは、ふと死苦に責められ、その機抜けす、真実起る也。又業体を使ひ殺さんと云て人を使はす、我身を使ひ、扨てもいやな御上様やと云て、内の者どもと一つに働き、工夫一偏に勤むる人有り。去る程に頓て病も抜け、女気なく男の様にそ見えたり。師是れを真実の修行者とし給ふ也。
書き下し
師一日、去る処に至り物語の次に曰く、人間の一生涯ほど詮なき物なし。如何なる病をか受け、如何なる死をか為し、まだ此の身に如何なる業か有らんす。扨て扨て大義の物哉也と。時に其処の内儀これを聞て、ひしと受けられたり。常々病者なるか、扨ても因果の業体を受け来ること哉。我身また如何なる業か有らんと思ふより、心切に成り、是非是非業を尽くさんと云つて、咒をくり経をよみ、身を扣きつねり、肉のつぐろ死するほどして、念仏経咒を以てひたせめに責められたり。十日ほど如是して、一晩、持仏堂にて罪業を懺悔し居られけれは、ふと死苦に責められ、その機抜けす、真実起る也。又業体を使ひ殺さんと云て人を使はす、我身を使ひ、扨てもいやな御上様やと云て、内の者どもと一つに働き、工夫一偏に勤むる人有り。去る程に頓て病も抜け、女気なく男の様にそ見えたり。師是れを真実の修行者とし給ふ也。
現代語訳
師がある日、ある家に行かれ、話のついでに言われた。人間の一生涯ほど甲斐のないものはない。どんな病を受け、どんな死に方をするか。まだこの身にどんな業があるだろうか。さてさて、大儀なものだな、と。そのとき、その家の奥方がこれを聞いて、ひしと受け止められた。常々病がちであったが、さても因果の業の体を受けてきたものだな、自分の身にはまたどんな業があるだろう、と思うところから、心が切実になり、ぜひぜひ業を尽くそうと言って、呪を繰り、経を読み、身を叩きつねり、肉が赤黒く死ぬほどにして、念仏や経呪でひたすら責め立てられた。十日ほどこのようにして、ある晩、持仏堂で罪業を懺悔しておられたところ、ふと死苦に責められ、その気迫が抜けず、真実が起こった。また、業の体を使い殺そうと言って、人を使わず自分の身を使い、さても嫌なお上様だ、と言って、家の者たちと一緒に働き、工夫一筋に勤めていた。そうするうちに、やがて病も抜け、女らしいか弱さがなく、男のように見えた。師はこれを真実の修行者とされたのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『呻吟語』内篇・應務・慎果の二字、明哲の二字士君子大事に當たる時、人に先んじて任ずるは、當に慎果の二字を知るべし。人に從ひて行ふは、當に明哲の二字を知るべし。明哲は難を避くるに非ず。事に裨無くして只だ自ら沒するのみなればなり。
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『呻吟語』内篇・應務・卑は恭を學ばず、貧は儉を學ばず謙忍は皆な尊に居るの道なり。儉樸は皆な富に居るの道なり。故に曰く、卑は恭を學ばず、貧は儉を學ばずと。
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『墨子』非儒下民を存す。是に於いて其の禮を厚くし、其の封を留め、敬して見るも其の道を問わず。孔丘、乃ち景公と晏子とに志怒し、乃ち鴟夷子を樹てて田常の門に及ぼし、南郭子に欲する所を為すを告げ、魯に歸る。頃有りて、齊の将に魯を伐たんとするを間き、子貢に告げて曰く、「賜や、大事を今の時に舉げん」と。乃ち子貢を齊に遣わし、南郭惠子に因りて以て田常に見え、之に吳を伐つを勸め、以て髙・國・鮑・晏を教え、田常の亂を害するを得ざらしめ、越に吳を伐つを勸む。三年の内、齊・吳、國を破るの難あり、伏尸は術數を以て言う。孔丘の誅なり。
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『学問のすゝめ』四編・学者の職分を論ず・利あらざるものは必ず害あり以上論ずるところを概すれば、今の世の学者、この国の独立を助けなさんとするに当たりて、政府の範囲に入り官にありて事をなすと、その範囲を脱して私立するとの利害得失を述べ、本論は私立に左袒したるものなり。すべて世の事物をくわしく論ずれば、利あらざるものは必ず害あり、得あらざるものは必ず失あり、利害得失相半ばするものはあるべからず。わが輩もとよりためにするところありて私立を主張するにあらず、ただ平生の所見を証してこれを論じたるのみ。世人もし確証を掲げてこの論説を排し、明らかに私立の不利を述ぶる者あらば、余輩は悦んでこれに従い、天下の害をなすことなかるべし。
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孟子・離婁章句下曾子、武城に居る。越の寇有り。或ひと曰く、「寇至る、盍ぞ諸を去らざるや。」曰く、「人を我が室に寓し、其の薪木を毀傷すること無かれ。」寇退けば、則ち曰く、「我が牆屋を修めよ。我將に反らんとす。」寇退き、曾子反る。左右曰く、「先生を待つこと、此の如く其れ忠にして且つ敬なり。寇至れば、則ち先づ去りて以て民の望みを為し、寇退けば則ち反る。不可なるに殆(ちかい)し。」沈猶行曰く、「是れ汝の知る所に非ざるなり。昔、沈猶、負芻の禍い有り。先生に従う者七十人、未だ與ること有らず。」子思、衛に居る。齊の寇有り。或ひと曰く、「寇至る。盍そ諸を去らざるや。」子思曰く、「如し伋去らば、君誰と與にか守らん。」孟子曰く、「曾子・子思は道を同じくす。曾子は師なり、父兄也なり。子思は臣なり、微なり。曾子・子思、地を易うれば則ち皆然り。」
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『正法眼蔵随聞記』巻一亦物語に云く、故の鎌倉の右大将、始め兵衛佐にて有し時、内裡の辺に、日はれの会に出仕の時、一人の不当人ありき、其時の大納言あふせて云く、是を制すべしと、大将の云く、六波羅に仰せらるべし、平家の将軍なりと、大納言の云く、近か近かなればなりと、大将の云く、其の人に非ずと、是れ美言なり、此の心にて後には世をも治められしなり、今の学人も其心あるべし、其人にあらずして人を呵すること莫れ、