驢鞍橋 / 卷上
我處に在らば佛行大形にしてなりとも、先つ我書を見分け不審も有らば問ひ窮め置くへきに、文字さへ見分けさるは余り慚愧の事也。只汝は追出して乞食させたるか慈悲なるべし。思ひ切つて世緣をづんと離れ、身を捨て、乞食し、乞出せば食し、若し乞出ずんば餓死せんと思ひ切つて、天道に任せて行脚せは、樂に居て飮喰し、佛行を爲したるよりも增しなるへし。必す無緣乞食修行すへしと也。
新字:我処に在らば仏行大形にしてなりとも、先つ我書を見分け不審も有らば問ひ窮め置くへきに、文字さへ見分けさるは余り慚愧の事也。只汝は追出して乞食させたるか慈悲なるべし。思ひ切つて世縁をづんと離れ、身を捨て、乞食し、乞出せば食し、若し乞出ずんば餓死せんと思ひ切つて、天道に任せて行脚せは、楽に居て飲喰し、仏行を為したるよりも增しなるへし。必す無縁乞食修行すへしと也。
書き下し
我処に在らば仏行大形にしてなりとも、先つ我書を見分け不審も有らば問ひ窮め置くへきに、文字さへ見分けさるは余り慚愧の事也。只汝は追出して乞食させたるか慈悲なるべし。思ひ切つて世縁をづんと離れ、身を捨て、乞食し、乞出せば食し、若し乞出ずんば餓死せんと思ひ切つて、天道に任せて行脚せは、楽に居て飮喰し、仏行を為したるよりも增しなるへし。必す無縁乞食修行すへしと也。
現代語訳
私のもとにいるのなら、仏道の行はおおまかにでもよいから、まず私の書いたものを読み分け、不審があれば問いただしておくべきなのに、文字さえ読み分けないとは、あまりに恥ずかしいことだ。ただ、おまえは追い出して乞食をさせるのが慈悲というものだろう。思い切って世の縁をずんと離れ、身を捨てて乞食し、施してくれれば食べ、もし施してくれなければ餓死しようと思い切って、天の道に任せて行脚すれば、楽に居て飲み食いし、仏道の行をしているよりもましだろう。必ず縁のない乞食修行をしなさい、と。
解説

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関連する章句
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史記 伯夷列伝或いは曰く、「天道は親無く、常に善人に与す」と。伯夷・叔斉の若きは、善人と謂ふ可き者か、非ざるか。仁を積み行ひを潔くすること此くの如くして餓死す。且つ七十子の徒、仲尼独り顔淵をのみ薦めて学を好むと為すも、然るに回や、屢々空しく、糟糠にだも厭かずして、卒に蚤夭す。天の善人に報施するは、其れ何如ぞや。盗跖は日々不辜を殺し、人の肉を肝し、暴戻恣睢にして、党を聚むること数千人、天下に横行するも、竟に寿を以て終はる。是れ何の徳に遵ふや。此れ其の尤も大いに彰明較著なる者なり。近世に至るが若きは、操行軌ならず、専ら忌諱を犯し、而も身を終ふるまで逸楽し、富厚にて世を累ぬるも絶えず。或いは地を択びて之を蹈み、時ありて然る後に言を出だし、行ひは径に由らず、公正に非ずんば憤りを発せず、而るに禍災に遇ふ者は、勝げて数ふ可からざるなり。余、甚だ惑ふ。儻くは所謂天道は、是か非か。
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『驢鞍橋』卷上只天道に万事を任せ奉り、正直を守つて私の欲をかわくべからず。然らは亦天道の恵みにて今世後世ともによかるべし。今時得て人の云ふ事也、正直計りにては世間渡られすと。是れ究めたる僻言也。古より正直を守つて餓死したる者を不聞、不正直者こそ古今とも家を崩し身を損する也。又貧をもさのみ嫌ふへからす、貧にして餓死したる者も不聞、富貴の家にこそ横難横死も多き物也。其上貧福因果定まれり、何ぞ乱に邪欲を思はんや。とも有れちがはば餓死ぬより苦敷事はあらじと思ひ定めて、万事を放下して一筋に正直を守りて耕作すべき也。人毎に餓死ぬ事を嫌ふが、是程心安き事なし。食ひたいも二三日の間の事也。其後は機遠く成り、眠り入る様に成り、苦みなく安楽に死する也。総して只死ぬは楽と思はるゝや、腫れて死ぬも苦也、ひつて死ぬも苦也、虫にせき殺るゝも苦也、大熱して死ぬも苦也、一つとして安き死なし。万死苦病苦の堪えがたき目に逢はんより、中々餓死は楽なる事に非すやと也。
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『武士訓』卷三・第7段世俗よろづにものうくして。天道次第といふは非なり。天道はおのれにあり。外にあらず。人事をなしつくして後。天にまかすべし。古語に人事盡處便是命とあるを考しるべし。
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『家道訓』巻之四・用財上如何となれば、我身彼をすくふほど財あるは、天よりひとへに我が身にさいはひし給ふにあらず、貧苦なる者をすくはしめんとて、吾にたからをあたへ富ましめ給ふ理なれば、天の御心にしたがひて、貧人をすくひほどこすべし。もし是をすくはざれば、天の御心にそむきて、其のわざはひおそるべし。天道にそむきしわざはひ、たちまちに目に見え来らず、其のむくい、おそけれどものがれがたし。此の理必ずたがはず、うたがふべからず。天道おそるべし。
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『初学訓』巻之一一凡人は天地のめぐみをうけて生れ、天地の心をうけて心とし、天地の養を得て身をやしなふ。かかる天地の大恩をうけて、天地の内に住みながら、天地のわれにあたへ給へる心の徳を捨てて保たず。天地の道にそむきて行はず。其上、天地の、子としてあはれみ給へる人倫と、次には鳥獣をそこなひ苦めて不仁なるは、天地の御心にそむきて、罪深し。是天地のにくみ給ふ所なり。天道は恐るべし、侮りて背くべからず。一人として、天をおそれず人をあはれまず、悪これより大なるはなし。悪を行へば天のにくみ給ふ所、天の譴のがれがたし。即時にわざはひあると、後に禍来るとのかはりあれども、悪をなして禍なきの理なし。又天地の御心に従ひて背かざる人は、天地のめぐみありて、必ず福あり。もしは、其福早く来らざれども、後必ず福有りて禍なし。もし我が身に福なければ、必ず子孫にいたりて福あり。是必然の理なり。古の聖人の教明らかなり。聖人の言おそるべし、信ずべし、疑ふべからず。古を引くにも及ばず、近世にも此ためし多し。
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『翁問答』上卷之末師の曰、よき不審にて候、それは易学をよくきはめざれば、合点ゆきかぬる所にて候へども大かたをかたり候はん、夫賢人君子鳳凰麒麟などを善とさだめ、愚痴不肖鳶狐狸などを悪とさだめ、善悪の二字にてさたし、それをそのまゝ天道におしあてがふによつて一しほうたがひまし候、先根本をよく考へ見て、さて枝葉をよく吟味したるがよく候、天道を根本として生れ出たる万物なれば、天道は人物の大父母にして根本なり、人物は天道の子孫にして枝葉なり根本の天道純粋至善なれば、その枝葉の人物もみな善にして悪なしと得心すべし、瓜づるに茄子はならぬといへるが如し、