驢鞍橋 / 卷下
又雲居和尙は、その頃、加藤式部殿の歸依僧たり。或時、大愚和尙、式部殿へ見舞に至り玉ひ參會の度ごとに、雲居和尙を御堂坊御堂坊と喚ひ給ふ。雲居和尙狂言も一旦社と云つて、大に瞋り給ふ。大愚和尙云ふ、いや狂言に非す、堂坊と云はれ度も無くんば、佛道修行し給へ。或は儒書を講し、詩を作り、歌を詠み、俗家に頭をかしけ廻るは、堂坊に非すやと云ひ給へは、雲居和尙大に非を知り、終に道に入り給ふ。この外にも道者の名あるも、皆この後のこと也、根本は師に仍て起る也。修し行すると云ふことは、久しく斷えてありたると見えたり。又靈氣惡鬼吊ひて治ると云ふことも、師より起る也。其先は祈念祈禱と計り云つて、終に吊ふと云ふ沙汰なしと也。
新字:又雲居和尚は、その頃、加藤式部殿の帰依僧たり。或時、大愚和尚、式部殿へ見舞に至り玉ひ参会の度ごとに、雲居和尚を御堂坊御堂坊と喚ひ給ふ。雲居和尚狂言も一旦社と云つて、大に瞋り給ふ。大愚和尚云ふ、いや狂言に非す、堂坊と云はれ度も無くんば、仏道修行し給へ。或は儒書を講し、詩を作り、歌を詠み、俗家に頭をかしけ廻るは、堂坊に非すやと云ひ給へは、雲居和尚大に非を知り、終に道に入り給ふ。この外にも道者の名あるも、皆この後のこと也、根本は師に仍て起る也。修し行すると云ふことは、久しく断えてありたると見えたり。又霊気悪鬼吊ひて治ると云ふことも、師より起る也。其先は祈念祈禱と計り云つて、終に吊ふと云ふ沙汰なしと也。
書き下し
又雲居和尚は、その頃、加藤式部殿の帰依僧たり。或時、大愚和尚、式部殿へ見舞に至り玉ひ参会の度ごとに、雲居和尚を御堂坊御堂坊と喚ひ給ふ。雲居和尚狂言も一旦社と云つて、大に瞋り給ふ。大愚和尚云ふ、いや狂言に非す、堂坊と云はれ度も無くんば、仏道修行し給へ。或は儒書を講し、詩を作り、歌を詠み、俗家に頭をかしけ廻るは、堂坊に非すやと云ひ給へは、雲居和尚大に非を知り、終に道に入り給ふ。この外にも道者の名あるも、皆この後のこと也、根本は師に仍て起る也。修し行すると云ふことは、久しく断えてありたると見えたり。又霊気悪鬼吊ひて治ると云ふことも、師より起る也。其先は祈念祈禱と計り云つて、終に吊ふと云ふ沙汰なしと也。
現代語訳
また雲居和尚は、そのころ加藤式部殿の帰依僧であった。ある時、大愚和尚が式部殿へ見舞いに行かれ、会うたびごとに、雲居和尚を、御堂坊、御堂坊と呼ばれた。雲居和尚は、冗談も一度ならばと言って、大いに怒られた。大愚和尚は言った。いや、冗談ではない。堂坊と言われたくないなら、仏道を修行されよ。あるいは儒書を講じ、詩を作り、歌を詠み、俗家に頭を下げて回るのは、堂坊ではないか、と言われると、雲居和尚は大いに非を知り、ついに道に入られた。このほかにも道者の名のある人も、みなこの後のことである。根本は師によって起こったのである。修行するということは、長く絶えていたと見える。また霊気や悪鬼を弔って治めるということも、師から起こったのである。それ以前は、祈念、祈祷とばかり言って、ついに弔うということは取り沙汰されなかった、という。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『驢鞍橋』卷下本秀和尚の云はく、師は近代の仏法の中興也。其先き終に誰ても修行と云ふ沙汰したる人無し。この前、宇津宮物外和尚の所にて、明関、大愚、愚堂三人、講釈を聞き居給ふに、師俗の時至り、この三人の衆に向て、録を見るに、どの録にも大悟々道省悟修行抔を云ふこと有り、是は各の様に講釈を聞き覚え、又人に講釈して聞かせた迄にて埒明くことなりや。古人達も左様にめされたりやと、節々尋ね給ふ。爰に於て、何れも行き当り、心付て坐禅を専とし、修行の沙汰をし出されたり。
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『驢鞍橋』卷上師一日或る曹洞宗の寺に至る。住持雑談の次てに曰く、某幼少より立ちながら小用せず、炉に唾を吐かず。師聞て曰、其様な事にても無くては出家冥加も有り、早く一寺にも住し、人にも知らるゝ事有るへからず。此上ながら道心冥加の有る様に成り申度し。亦曰、小僧共に能く教へたるが能き也。必ず立ちながら小用させめさるゝな、出家侍の立小用見苦敷物也。炉に唾を吐かせめさるゝな、食物をも灸り、其上香炉の火をも取る物也。総して曹洞宗は、おつゝかみにて律儀なし、誠の道心こそなくとも、行規計りなりとも正しくすべし。責めて是れ程の事なりとも無くんば、人間に生を得たる甲斐なし。皆耻かきに出でたり。我も七十年耻をかき来れりと也。
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『驢鞍橋』卷下去る時、僧俗の修行者思の外心得悪しと発憤有る折節、去る僧来る。師見て曰く、出入の人人大方にも心得たるかと云ひければ、一人もなし。殊に坊主の生けた振見度なし。あらいやの御坊主達や。早々帰りめされよと云つて、急に逐ひ帰し給ふ也。
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『驢鞍橋』卷下一日、示して曰く、中古の人の修行は、身心清浄に用ひ、先つ好き体を造り立て、その内に仏法を取籠み、人を度し、好き者に成り、打上て居る位也。何としても常の人よりは上に成て居らるべし。我□るは別也。つゝとよりから此の糞袋めに眼を着て打捨る筋也。如是始めからおずい物に成る修行也。只かつたい坊に成て修するか好き也。中古の人の如く用ひては、我は悪き也。あの如く用ふるは、我か立て度ても、人が立てさせてこそ。古人は仏に成る修行、我はどすに成る修行也。如是守て糞袋に離るより別のことを知らぬ也。
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『驢鞍橋』卷上師又曰く、其方の振は仏法を持たれたり出しめされよ。彼者、少しも存せずと云ふ。師曰、いやいや一物有り、早々出しめされよと責め給ふ。時に彼者去る和尚より趙州洗鉢盂の話を授かり、脫体に入りかゝり候と云ふ。師曰く、三宝とて世人の宝と成る僧が、還つて左も無き事を授けて、人を損ふと是非も無き事也。夫れ言句に徹すると云ふ事も無きには非ず、縦ひ微したりとも、餓鬼畜生の心は休むへからす。我も私見性少し有れども何の用にも立たす、結句今時見性したりと云ふ人は、大形人悪く成る也。其方も只土に成て念仏修行せらるべし。彼者問、修行とはいかなる事なりや。師答て曰、我を尽す事也。又問、土にはなにと成り候や。師答て曰、其方が胸の中の知解妄想を悉く打捨て、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と道理を申しけし、我を申しけして、虚空一枚に成るを土に成て成仏する修行と云ふ也。
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『驢鞍橋』卷下一日、去る者来て曰く、何某和尚は、道者と云はれ給ふか、又此頃は悪名世間に語り伝ふと云ふ。師聞て曰く、左も無くして、人に道者と貴はれたる咎遁れ難かるへし。天道是れを許さんや。夫れほど又世間に耻を曝らして、その報ひを返さで叶はす。或は機違ひ、或は死苦病苦强かるへし。総じて徳無くして人に貴はるゝ程の咎なし。又曰く、天然と通力抔有り、奇特の業を作す性は、悪の性、化物性也。たとひ通有りとも、一悪をも断替かする為めにも成るへからす、心は人に易らすして人に貴はるゝこと、大なる咎也。