驢鞍橋 / 卷上
一日亡者弔ひの次て、師愕然として曰く、皆人計りを弔ふ弔ふと思つて、我も頓て弔らはるへしと云ふ事を知らず。假にも思ひよらず、只有りて俄に詰りてぎくついて死す。さても暗き物哉と也。
新字:一日亡者弔ひの次て、師愕然として曰く、皆人計りを弔ふ弔ふと思つて、我も頓て弔らはるへしと云ふ事を知らず。仮にも思ひよらず、只有りて俄に詰りてぎくついて死す。さても暗き物哉と也。
書き下し
一日亡者弔ひの次て、師愕然として曰く、皆人計りを弔ふ弔ふと思つて、我も頓て弔らはるへしと云ふ事を知らず。仮にも思ひよらず、只有りて俄に詰りてぎくついて死す。さても暗き物哉と也。
現代語訳
ある日、亡くなった人を弔ったついでに、師ははっとして言われた。みな人ばかりを弔う、弔うと思って、自分もやがて弔われるということを知らない。かりにも思いもよらず、ただ生きていて、にわかに行き詰まって、ぎくりとして死ぬ。なんとも暗いものだな、と。
解説
葬儀で人を弔いながら、正三ははっと気づく。弔う側にいる者は、自分もいずれ弔われる側になることを忘れている。ただ漫然と生きて、突然死に直面して慌てふためく。人の死を見送る場は、本来自分の死を思う場でもある。同僚や知人の不幸に接したとき、それを他人事として処理するのではなく、自分の時間の使い方を見直すきっかけにできるか。短い条に、正三の死を守る教えがよく凝縮されている。
この章句が説くこと
弔い無常死自覚他人事死を守る
関連する章句
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『驢鞍橋』卷上一日去る処へ至り玉ふに、其家の代官知行処へ往くとて、途中にて少し煩ひ死しける由申来る。師聞き愕然として曰く、扨々不便千万の事哉、我をも娑婆をも実に有ると思ひ居て俄に死す。苦み計り難し、嘆痛敷事也。爰を以て思へは少し志有りて、今か今かと片腰懸けたる様にも思ひ居る者は、亦大なる徳也。其日さまざまの事有り、晩に至りて曰く、一日徒に飮食したり、闇魔王に腹を打破られんすよと也。
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『驢鞍橋』卷上一日示して曰く、人毎に死を忘れて今日角有れば、明日も角有らんと思ふ。亦人人今ではあらじと思ふ物也。究めて聞き事也。左様に思ひ居たる者共皆死失せし也。彼等も時を知るにあらず、各各やうに思ひし者共也。此理を弁へずあだなる身を我身と思ひ、仮の娑婆を我娑婆と思ひ、万才楽と限りなく楽み居る也。如是思懸けなき処に、俄に闇魔の使ふと来り、五臓六腑を責破り、命を責め取る時、眼くらみ耳かすかにして、舌すくみ総身に死苦せまり、苦みの堪えがたきのみならず、命の惜しさ娑婆のなごりの惜しさ云ふ計りなく、前後暗くして何くへ行くと云ふ道やりなく、其時に悔ふるともかひあらんや。
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『驢鞍橋』卷上壬辰八月日、一僧某殿大坂御番に一両日中に上り給ふと云ふ。師聞て曰、当春聞きし時は、まだ間有る様に思はれけるが、いつの間にか月日立ち、程無く二三日に推詰りけるよ。我命も今は有る様に思ふが、俄にこそ詰らんずよと也。
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『驢鞍橋』卷上一日塔婆を書し玉ふ次て、愕然として云はく、扨もたわけた事哉。我も人も皆如是ならんずが、何としても無く成らうやうに思はれぬもの也。
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『驢鞍橋』卷上心弥迷惑し、死出の山の大難堪え難く、正念を失ひ、死後畜生の如くにして冥より冥に落入り、其儘餓鬼畜生に体を受けん事、口惜き事に非すや。扨々恐るべき事也。かほとの大事を持ちながら、是れを忘れてたわ事の娑婆に心を抜かし居る事、大なる油断也。能く能く思ひ知り、此大事を平生引受けて守るべし。必ず一大事を忘れて世間に機を抜かすべからすと也。
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『驢鞍橋』卷上一日曰く、我六十余に成りてより、心相の一つ替はる事有り、亡者を吊ふにひしと心に請取り、身に引懸けて弔ふ位有り、或は火中に飛込んで苦に代る心に成り、或は翅籠有るをつゝと出て助けんと思ふ機の位に成り、或は子供堀堆に落つるを飛込んで取つて指上げる心相に成り、中々强う請取る也。総して亡者弔ひに出づると早や機自ら果し眼に成る也。