驢鞍橋 / 卷下
因に曰く、修行と云ふは、機を抜さぬこと一つ也。喩へば機を抜し居る時は、大勢にときをとつと上られては、其儘機を取られて、ぐつとひしげる物也。扨て又機を抜さず居る則んば、大勢にわつと云はれては、其儘その聲に乘つてわつと云ふて懸らるゝもの也。大勢の聲が却て味方の力に成る物也。何たる强者なりとも、機を拔して居らば、二の息に成るべし。又抜さず守り居ん時、思懸なき處にて、人わつと云へば、其の聲に乘て、わつと云つて驚く心少しも有るべからずと也。
新字:因に曰く、修行と云ふは、機を抜さぬこと一つ也。喩へば機を抜し居る時は、大勢にときをとつと上られては、其儘機を取られて、ぐつとひしげる物也。扨て又機を抜さず居る則んば、大勢にわつと云はれては、其儘その声に乗つてわつと云ふて懸らるゝもの也。大勢の声が却て味方の力に成る物也。何たる强者なりとも、機を抜して居らば、二の息に成るべし。又抜さず守り居ん時、思懸なき処にて、人わつと云へば、其の声に乗て、わつと云つて驚く心少しも有るべからずと也。
書き下し
因に曰く、修行と云ふは、機を抜さぬこと一つ也。喩へば機を抜し居る時は、大勢にときをとつと上られては、其儘機を取られて、ぐつとひしげる物也。扨て又機を抜さず居る則んば、大勢にわつと云はれては、其儘その声に乗つてわつと云ふて懸らるゝもの也。大勢の声が却て味方の力に成る物也。何たる强者なりとも、機を抜して居らば、二の息に成るべし。又抜さず守り居ん時、思懸なき処にて、人わつと云へば、其の声に乗て、わつと云つて驚く心少しも有るべからずと也。
現代語訳
ついでに言われた。修行というのは、気迫を抜かさないこと一つである。たとえば気迫を抜かしているときは、大勢に鬨の声をどっと上げられると、そのまま気迫を取られて、ぐっとひしげるものである。さてまた、気迫を抜かさずにいるときは、大勢にわっと言われると、そのままその声に乗って、わっと言って懸かっていけるものである。大勢の声がかえって味方の力になるものだ。どれほどの強者でも、気迫を抜かしていれば、二の息になるだろう。また抜かさず守っているときは、思いがけないところで人がわっと言っても、その声に乗って、わっと言って驚く心は少しもないはずである、と。
解説
この章句が説くこと
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