驢鞍橋 / 卷下
夜話に曰く、狂言綺語とて、おどけこと抔云ふこと、大なる咎也。出來口抔云つて人を笑はしめ、一旦人の機を慰むる樣なれども、人の心を實もなくじやけらにしなす道理也。又是れ過に非すと思ふて、制せさる間休み難し。然る間、却て惡口よりも深き咎也。必す愼むべし。總而修行者は、心底から笑ふことなき物也。
新字:夜話に曰く、狂言綺語とて、おどけこと抔云ふこと、大なる咎也。出来口抔云つて人を笑はしめ、一旦人の機を慰むる様なれども、人の心を実もなくじやけらにしなす道理也。又是れ過に非すと思ふて、制せさる間休み難し。然る間、却て悪口よりも深き咎也。必す慎むべし。総而修行者は、心底から笑ふことなき物也。
書き下し
夜話に曰く、狂言綺語とて、おどけこと抔云ふこと、大なる咎也。出来口抔云つて人を笑はしめ、一旦人の機を慰むる様なれども、人の心を実もなくじやけらにしなす道理也。又是れ過に非すと思ふて、制せさる間休み難し。然る間、却て悪口よりも深き咎也。必す慎むべし。総而修行者は、心底から笑ふことなき物也。
現代語訳
夜話で言われた。狂言綺語と言って、おどけたことなどを言うのは、大きな咎である。気の利いた言葉だなどと言って人を笑わせ、一旦は人の気持ちを慰めるようだが、人の心を実のない、ふざけたものにしてしまう道理である。またこれを過ちではないと思って、止めないので、やめにくい。だから、かえって悪口よりも深い咎である。必ず慎みなさい。おおよそ修行者は、心の底から笑うことのないものである。
解説
冗談や気の利いた言葉で人を笑わせるのは、悪口よりも深い罪だ、と正三は言う。一時は人の心を慰めるように見えても、心を軽薄でふざけたものにしてしまい、しかも本人は悪いことだと思わないので止まらない、と。ユーモアを全否定するのは極端に聞こえるが、場を和ませるための軽口が、真剣な話を茶化し、心を浅くしてしまう危うさは確かにある。笑いの効用と害の両面を考えさせる条である。
この章句が説くこと
冗談軽口狂言綺語悪口真剣さ慎み
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『驢鞍橋』卷上夜話の次で、去る者或は行脚し或は山居す抔と、様々我行を自讃す。師呵して曰く、其方左様にして何事を仕出したぞ、むだ辛労して詮無き事を耻ぢず、手柄の様に云ふ。人か大略にも思ふかと思つて云ふと見えたり。汝か事を入札にさせば、一人でも能く入るゝものあるべからす、我を知らぬ者哉。因に向衆曰く、総して若き衆もよう心得めされよ、人は能く思はぬに自ら慢して、人もよう思ふと思つてたわけを尽す者也。自分を顧みて余所の笑ひを知るべしと也。
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