驢鞍橋 / 卷下
一日、人來て曰く、去る者我悟りたり、何事もなしと云ふ有り、如何挨拶有るべきや。師聞て曰く、扨ても笑止千萬なること哉。抜から佛法を分別して居めさるゝそうな、能く能く御意見申度こと也。乍去もはや打上て合點めさるまいほとに、是非に及はぬ迄よ、どこぞに持去て鼻に上て秘藏しめされよと云ふべき也。扨て又自由に頭からぼつ下して云はは、心經を以て云ふべし、五蘊皆空と有り、定て其方も四大五蘊皆空にて有らんずと、是れよりせるべしと也。
新字:一日、人来て曰く、去る者我悟りたり、何事もなしと云ふ有り、如何挨拶有るべきや。師聞て曰く、扨ても笑止千万なること哉。抜から仏法を分別して居めさるゝそうな、能く能く御意見申度こと也。乍去もはや打上て合点めさるまいほとに、是非に及はぬ迄よ、どこぞに持去て鼻に上て秘蔵しめされよと云ふべき也。扨て又自由に頭からぼつ下して云はは、心経を以て云ふべし、五蘊皆空と有り、定て其方も四大五蘊皆空にて有らんずと、是れよりせるべしと也。
書き下し
一日、人来て曰く、去る者我悟りたり、何事もなしと云ふ有り、如何挨拶有るべきや。師聞て曰く、扨ても笑止千万なること哉。抜から仏法を分別して居めさるゝそうな、能く能く御意見申度こと也。乍去もはや打上て合点めさるまいほとに、是非に及はぬ迄よ、どこぞに持去て鼻に上て秘蔵しめされよと云ふべき也。扨て又自由に頭からぼつ下して云はは、心経を以て云ふべし、五蘊皆空と有り、定て其方も四大五蘊皆空にて有らんずと、是れよりせるべしと也。
現代語訳
ある日、人が来て言った。ある者が、私は悟った、何事もない、と言っています。どう挨拶すればよいでしょうか。師は聞いて言われた。さても笑止千万なことだな。抜け殻の仏法を分別しておられるようだ。よくよくご意見申したいことである。けれども、もう打ち上がって納得されないだろうから、仕方がないまでよ。どこかへ持って行って、鼻に掛けて大切にしまっておきなさい、と言うべきである。さてまた、遠慮なく頭からぼっと落として言うなら、心経で言うがよい。五蘊皆空とある。きっとあなたも四大五蘊皆空であろう、と、ここから責めるがよい、と。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『正法眼蔵随聞記』巻四古人云く、奢て上賢にひとしからんと思ふことなかれ、賤ふして下賤にひとしからんと思ふことなかれと、云こゝろは、共に慢心なり、高ふしても下らんことを忘るゝことなかれ、安ふしても危からんことを忘るゝことなかれ、今日存するとも明日もと思ふことなかれ、死の至てちかくあやふきこと脚下にあり、
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『正法眼蔵随聞記』巻四示して云はく、愚癡なる人は其の詮なきことを思ひ云ふなり、此につかはるゝ老尼公ありけるが、当時いやしげに在るをはづる顏にて、ともすれば人に向ては、昔しは上臘にてありしよしを語る、たとひ而今の人にさもありと思はれたりとも、なんの用とも覚えぬ、甚だ無用なりとおぼゆるなり、皆人の思はくは此の心あるかと覚ゆるなり、道心の無きほども知られたり、是れらの心を改めて、少し人には似るべきなり、亦有る入道の、極めて無道心なるあり、去り難き知音にてある故に、道心おこらんこと仏神に祈誓せよと云はんと思ふ、定て彼れ腹立して中をたがふことあらん、然あれども道心を発さヾらんには得意にてもたがひに詮なかるべし、
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葉隠・聞書第一順境には自慢と奢りがあぶなきなり。その時は、日頃の倍(ばい)慎まねば、追ひ付かざるなり。よき時進む者は、悪しき時草臥(くたび)るるものなり。