驢鞍橋 / 卷下
因に云ふ、大形昔より師一人にして、二代になれば、早や衰ふと見えたり。然ればこそ、佛弟子より此の位有る也。佛經には勇猛精進と多く說き給ふに、その後誰れでも沙汰したる人を聞かす、若し沙汰せば、先つ迦葉のめされんすか早や替りたると見えたり。總而昔も今の如く、善き者出でにくかるべし。替り有るべからず。皆知らずして佛の御出世なる間、誰れをも彼れをも善からんずと計思はるゝ也。時に僧問ふ、普化は佛境界の人と承る、何ぞ度人なきや。師曰く、中中さつさつとしたる活境界にて、度人も何も有る樣の機に非ず、是れはよく我知ると也。
新字:因に云ふ、大形昔より師一人にして、二代になれば、早や衰ふと見えたり。然ればこそ、仏弟子より此の位有る也。仏経には勇猛精進と多く説き給ふに、その後誰れでも沙汰したる人を聞かす、若し沙汰せば、先つ迦葉のめされんすか早や替りたると見えたり。総而昔も今の如く、善き者出でにくかるべし。替り有るべからず。皆知らずして仏の御出世なる間、誰れをも彼れをも善からんずと計思はるゝ也。時に僧問ふ、普化は仏境界の人と承る、何ぞ度人なきや。師曰く、中中さつさつとしたる活境界にて、度人も何も有る様の機に非ず、是れはよく我知ると也。
書き下し
因に云ふ、大形昔より師一人にして、二代になれば、早や衰ふと見えたり。然ればこそ、仏弟子より此の位有る也。仏経には勇猛精進と多く説き給ふに、その後誰れでも沙汰したる人を聞かす、若し沙汰せば、先つ迦葉のめされんすか早や替りたると見えたり。総而昔も今の如く、善き者出でにくかるべし。替り有るべからず。皆知らずして仏の御出世なる間、誰れをも彼れをも善からんずと計思はるゝ也。時に僧問ふ、普化は仏境界の人と承る、何ぞ度人なきや。師曰く、中中さつさつとしたる活境界にて、度人も何も有る様の機に非ず、是れはよく我知ると也。
現代語訳
ついでに言われた。おおよそ昔から、師は一人で、二代になれば、もう衰えると見える。だからこそ、仏弟子からこの位があるのである。仏経には勇猛精進と多く説かれているのに、その後、誰もそれを詮議した人を聞かない。もし詮議していれば、まず迦葉が詮議されたはずだが、もう変わってしまったと見える。おおよそ昔も今のように、良い者は出にくかったのだろう。変わりはあるはずがない。みな知らないで、仏がお出ましになった時代だから、誰も彼も良かったのだろうとばかり思っておられるのである。そのとき僧が尋ねた。普化は仏の境界の人と承りますが、どうして人を導かなかったのでしょうか。師は言われた。なかなか、さっさつとした生きた境界で、人を導くなどということのある気迫ではない。これは私がよく知っている、と。
解説
この章句が説くこと
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説苑・建本晋の襄公薨じ、嗣君少く、趙宣子相たり。大夫に謂いて曰わく、「少君を立つれば、多難ならんことを懼る。請う雍を立てん。雍長じ、出でて秦に在り、秦大にして、以て援と為すに足る」と。賈季曰わく、「公子楽に若かず。楽国に寵有り、先君愛して之を翟に仕えしむ、翟是を以て援と為す」と。穆嬴太子を抱きて庭に呼びて曰わく、「先君奚の罪ありや、其の嗣も亦奚の罪ありや。嫡嗣を捨てて立てずして外に君子を求む」と。朝を出でて抱きて宣子に見えて曰わく、「難きを悪みて、故に長君を立てんと欲するも、長君立ちて少君壮なれば、難乃ち至らん」と。宣子之を患い、遂に太子を立つ。
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