驢鞍橋 / 卷下
又云はく、機轉なくして方便成り難し。靈氣吊抔も機轉也。此の前三州にて去る人の小者喉つまり、ぎくりぎくりと云つて煩ひける。我聞くと早く知る、頸くゝり死したるつれの靈氣につかれたると。然かも此の病起醒あり、我彼者を喚寄せ、佛前に置き、病起らば告けよと云付置く。後に人來て今起りたりと云ふ。我至りてぼかと腸倒して一喝す。忽ち本復して後迄子細なし。皆是れ念を奪ふ義なり
新字:又云はく、機転なくして方便成り難し。霊気吊抔も機転也。此の前三州にて去る人の小者喉つまり、ぎくりぎくりと云つて煩ひける。我聞くと早く知る、頸くゝり死したるつれの霊気につかれたると。然かも此の病起醒あり、我彼者を喚寄せ、仏前に置き、病起らば告けよと云付置く。後に人来て今起りたりと云ふ。我至りてぼかと腸倒して一喝す。忽ち本復して後迄子細なし。皆是れ念を奪ふ義なり
書き下し
又云はく、機転なくして方便成り難し。霊気吊抔も機転也。此の前三州にて去る人の小者喉つまり、ぎくりぎくりと云つて煩ひける。我聞くと早く知る、頸くゝり死したるつれの霊気につかれたると。然かも此の病起醒あり、我彼者を喚寄せ、仏前に置き、病起らば告けよと云付置く。後に人来て今起りたりと云ふ。我至りてぼかと腸倒して一喝す。忽ち本復して後迄子細なし。皆是れ念を奪ふ義なり
現代語訳
また言われた。機転がなくては、方便は成り立ちにくい。霊気を払う弔いなども機転である。以前、三河で、ある人の小者が喉を詰まらせ、ぎくりぎくりと言って患っていた。私は聞くとすぐに分かった、首をくくって死んだ者の霊気に憑かれたのだと。しかもこの病は起こったり醒めたりする。私はその者を呼び寄せて仏前に置き、病が起こったら知らせよ、と言いつけておいた。後で人が来て、今起こりました、と言う。私は行って、ぼかと蹴倒して一喝した。たちまち本復して、後まで何事もなかった。みなこれは念を奪うということである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『驢鞍橋』卷下又語て曰く、去る処にて、或る人生霊に付れ病ふを、我に吊を頼み来る、我その様子を問へば、使の者云ふは、此の人目懸を情なく逐出して又女房を持ちければ、その目懸恨深く憤强くして、其影亭主の目に見えて大に病ふと云ふ。是れも聞くと、頓而心得たり、中々吊ふべし、乍去その女人の朝夕秘蔵する道具一つ盗てたべと云て、秘蔵の櫛を偷みよせ、此の櫛を卓の上に置き、明朝こそ是を尋ねんと思ふ時分、責め付け責め付け経咒を以て心の及ふほど吊ふ。又病者の位牌をも傍に立置き、施餓鬼を誦む。如是二朝三朝吊ひければ、病すきと本復す。総而機転なくしては吊抔成るべからす。我万事は無調法なるか、加様の処になりでは、好く若き時より機転好かりしと也。
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『驢鞍橋』卷上去る処の病者霊気有りとて、弔を頼み来る。師便ち病者の位牌を書き、長水長老□に大衆に命して、下火念誦にて葬例の儀式を作す。其後師の焼香にて一時千巻の心経有り、誦し了るとわつと云つて位牌をつゝ倒し給ふ也。晩に至りて謂衆曰、逆修をも死人になして弔ひたるか能き也。死人に往いて霊気著くべからすと也。
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『驢鞍橋』卷下又語て曰く、人死せは、先つ早くよき人に吊はせたきこと也。俗人になりとも、他念なく念仏を申させたし。その故は亡魂うろうろとして物に取着きたがるもの也。この時よき人に吊はせば、その儘善心に取着く筈也。悪知識に吊はせば、機忽ち悪に移るべし。はや悪に移りたる後に、善人に吊はするとも、善心移り難かるへき也。又曰く、生霊よりも、死霊は治めやすし。生霊は何としても体を持て居る間、念强くして、善機移ること遅し。死霊は体なく、中有にたゝよひ、何くへなりとも便り度思ふ間、善を修すれは、ひしとその機を得る也。
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『驢鞍橋』卷上良有りて曰、彼様の者を弔ふ事も機転なくして不叶、我は聞くと早弔ひ様出づる也。先づ天徳院へ引導を頼み、死人に成して弔ひ、其後我請取り、身に経文陀羅尼を書き、塔婆と成して弔ふへし。塔婆と成りたらば虫も責むべからす、二七日も三七日も如是して弔ひたらば、必ず治すへき也。弔ひも医者の薬の如し。なま作なればきかぬ也。治せぬ間は、経咒を以て誦み殺す迄も吊ふべし。是れを直さずんは仏法にひけを付ける也。肉身不調の病は薬を以て治す。加様の業に責めらるゝ者は、縦ひ火を吐き角を振り来るとも、手も無く吊ひ直すべしと也。
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『驢鞍橋』卷上一日曰く、仏像の機を受くる事は、我と受けねば云つては聞かせ難し。合点しても機に受けねば用に不立、我是れ計りをいへども、受けたる人一人も無し。今よりは腹立ちたる時の機を用ゐよと授けんずと思ふ也。此機を用ゐ得ば、病も抜け命も延ぶへし。亦機を抜かし居て、心を砕き身を苦むる者、非業の死も有るへき事也。
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『驢鞍橋』卷下何某殿語て曰く、先年吾女共死せし時、朦気して途方に暮れたり。時に正三広間の口に出て、その腐物早く持去て打捨てよと、高声に下知して寺に遣し給ふ。この声を聞くと、ふと心開けて胸安くなりたり。爰を以て思ふに、よき人の引導を受けば、必ず助るへき道理也。然るに今時引導坊主抔を択はざるは、非義なこと哉と也。