驢鞍橋 / 卷下
彼人曰く、法の爲めに身を捨る上は、何事にかいきあたるべし。師曰く、めたと身を捨るを佛法とは云はす、夫れが成佛ならば、人を賴で頭を切りめされんや。又堀川にも飛込み死するを成佛と云はんや。身を捨つと云ふは、執着を離るゝこと也。執着の機だに離れば、身は有つても碍なし。然ればとて身をうまする事にもあらず。又ゆゑなく身を使ひくつめ、病者に成つてもならぬこと也。その上おつきるを、身を捨つと思はるゝか。おつきるは、却で身の爲めに樂を求むると云ふ物也。後世を願ふも、我身の爲めに願はずや。身を捨るならば、何で今の奉公を勤めさる、いやなことを作すこそ、身を捨るなれ。殊に修行と云ふは、强き心を以て修することなる間、出家よりは侍よき也。その故は先つ□主を持て機に油斷し、常に大小をさし働かし、すわと云はばと云ふ機自ら備はる也。此の機にてさへ用ゐられす、况や出家に成り、機たらりとなつて、何の用に立たんや。
新字:彼人曰く、法の為めに身を捨る上は、何事にかいきあたるべし。師曰く、めたと身を捨るを仏法とは云はす、夫れが成仏ならば、人を頼で頭を切りめされんや。又堀川にも飛込み死するを成仏と云はんや。身を捨つと云ふは、執着を離るゝこと也。執着の機だに離れば、身は有つても碍なし。然ればとて身をうまする事にもあらず。又ゆゑなく身を使ひくつめ、病者に成つてもならぬこと也。その上おつきるを、身を捨つと思はるゝか。おつきるは、却で身の為めに楽を求むると云ふ物也。後世を願ふも、我身の為めに願はずや。身を捨るならば、何で今の奉公を勤めさる、いやなことを作すこそ、身を捨るなれ。殊に修行と云ふは、强き心を以て修することなる間、出家よりは侍よき也。その故は先つ□主を持て機に油断し、常に大小をさし働かし、すわと云はばと云ふ機自ら備はる也。此の機にてさへ用ゐられす、況や出家に成り、機たらりとなつて、何の用に立たんや。
書き下し
彼人曰く、法の為めに身を捨る上は、何事にかいきあたるべし。師曰く、めたと身を捨るを仏法とは云はす、夫れが成仏ならば、人を頼で頭を切りめされんや。又堀川にも飛込み死するを成仏と云はんや。身を捨つと云ふは、執着を離るゝこと也。執着の機だに離れば、身は有つても碍なし。然ればとて身をうまする事にもあらず。又ゆゑなく身を使ひくつめ、病者に成つてもならぬこと也。その上おつきるを、身を捨つと思はるゝか。おつきるは、却で身の為めに楽を求むると云ふ物也。後世を願ふも、我身の為めに願はずや。身を捨るならば、何で今の奉公を勤めさる、いやなことを作すこそ、身を捨るなれ。殊に修行と云ふは、强き心を以て修することなる間、出家よりは侍よき也。その故は先つ□主を持て機に油断し、常に大小をさし働かし、すわと云はばと云ふ機自ら備はる也。此の機にてさへ用ゐられす、況や出家に成り、機たらりとなつて、何の用に立たんや。
現代語訳
その人は言った。法のために身を捨てる以上は、何事に行き詰まることがありましょう。師は言われた。むやみに身を捨てるのを仏法とは言わない。それが成仏なら、人に頼んで首を切ってもらおうか。また堀川に飛び込んで死ぬのを成仏と言おうか。身を捨てるというのは、執着を離れることである。執着の気迫さえ離れれば、身はあっても妨げにはならない。だからといって、身を甘やかすことでもない。また、理由もなく身を使い潰して病人になってもならない。そのうえ、隠遁するのを身を捨てることだと思っておられるのか。隠遁するのは、かえって身のために楽を求めるというものである。後世を願うのも、自分の身のために願うのではないか。身を捨てるのなら、なぜ今の奉公を勤めないのか。嫌なことをすることこそ、身を捨てることである。とりわけ修行というのは、強い心で修めることだから、出家よりは侍がよい。そのわけは、まず主君を持って気迫に油断せず、常に大小の刀を差して働かせ、すわという時には、という気迫がおのずから備わっている。この気迫でさえ使いこなせないのに、まして出家になって気迫がだらりとなって、何の役に立とうか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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葉隠・聞書第一古人(こじん)の覚悟は深き事なり。十三以上六十以下出陣と云う事あり。それ故に、古老(ころう)は年をかくすといえり。
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葉隠・聞書第一途中にて俄雨(にわかあめ)にあいて、濡れじとて道を急ぎ走り、軒下(のきした)などを通りても、濡るる濡るる事は替わらざるなり。初めより思いはまりて濡るる濡るる時、心に苦しみなく濡るる濡るる事は同じ。これ万(よろ)づにわたる心得なり。
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論語・憲問篇子曰く、『士にして居を懐(おも)えば、以て士と為すに足らず。』
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葉隠・聞書第一何某(なにがし)申し候は、「しおがれ浪人などと云うは、難儀千万(なんぎせんばん)この上なき様に皆人思うて、その期(ご)には殊(こと)の外(ほか)しおがれ草臥(くたび)るる事なり。浪人して後(のち)は左程(さほど)にはなきものなり。今一度(いまいちど)浪人仕(つかまつ)りたし。」と云う。もっともの事なり。死の道も、平生(へいぜい)に死習(しになら)うては、心安(こころやす)く死ぬべき事なり。奉公人の打留(うちどめ)は浪人切腹(せっぷく)に極(きわ)まりたると、兼ねて覚悟すべきなり。災難は前方(ぜんぽう)了簡(りょうけん)したる程には無きものなるを、先を量(はか)つて苦しむは愚かなる事なり。
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葉隠・聞書第一打返しの仕様(しよう)は、踏懸けて切り殺さるるまでなり。これにて恥(はじ)にならぬなり。仕果(しは)たすべしと思ふゆゑ、間(ま)に合はず。向(むこう)は大勢(おおぜい)などと云ひて時を移し、しまり止(どめ)になる相談に極(きわ)まるなり。相手何千人もあれ、片端(かたはし)より撫切(なでぎ)りと思ひ定めて、立ち向ふまでにて成就(じょうじゅ)なり。多分(たぶん)仕(し)済ますものなり。又(また)浅野殿(あさのどの)浪人(ろうにん)夜討(ようち)も、泉岳寺(せんがくじ)にて腹切らぬが落度(おちど)なり。又主(しゅ)を討たせて、敵(かたき)を討つ事延び延びなり。若(も)し、その内に吉良殿(きらどの)病死の時は残念千万なり。上方衆(かみがたしゅう)は智慧(ちえ)かしこきゆゑ、褒めらるる仕様は上手(じょうず)なれども、長崎喧嘩(ながさきけんか)の様に無分別(むふんべつ)にする事はならぬなり。又曾我殿(そがどの)夜討も殊(こと)の外(ほか)の延引(えんいん)。幕(まく)の紋(もん)見物(けんぶつ)の時、祐成(すけなり)図(ず)をはづしたり。不運の事なり。五郎(ごろう)申し様(よう)見事なり。総(そう)じてかやうの批判(ひはん)はせぬものなれども、これも武道(ぶどう)の吟味(ぎんみ)なれば申すなり。前方(ぜんぽう)に吟味して置かねば、行(ゆ)き当りて分別(ふんべつ)出来(でき)合はぬゆゑ、おおかた恥になり候。話を聞き覚え、物の本を見るも、かねての覚悟のためなり。就中(なかんずく)、武道は今日の事も知らずと思ひて、日々夜々(ひびよよ)に箇条(かじょう)を立てて吟味すべき事なり。時の行掛(ゆきがか)りにて勝負はあるべし。恥をかかぬ仕様は別(べつ)なり。死ぬまでなり。これには智慧も業(わざ)も入らぬなり。死ぬまでといふは勝負を考へず、無二無三(むにむざん)に死狂(しにぐる)ひするばかりなり。これにて夢(ゆめ)覚むるなり。
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説苑・立節越甲斉に至る。雍門子狄之に死せんことを請う。斉王曰わく、「鼓鐸の声未だ聞かず、矢石未だ交えず、長兵未だ接せず、子何ぞ死を務むるや。人臣為るの礼か」と。雍門子狄対えて曰わく、「臣之を聞く、昔者王囿に田す。左轂鳴りて、車右之に死せんことを請う。而して王曰わく、『子何為れぞ死せんとするや』と。車右対えて曰わく、『其の吾が君に鳴りしが為なり』と。王曰わく、『左轂の鳴るは工師の罪なり。子何の事か之有らんや』と。車右曰わく、『臣工師の乗るを見ずして、其の吾が君に鳴るを見るなり』と。遂に頸を刎ねて死す。之有るを知るか」と。斉王曰わく、「之有り」と。雍門子狄曰わく、「今越甲至る、其の吾が君に鳴るや、豈に左轂の下ならんや。車右左轂を以て死す可くして、臣独り越甲を以て死す可からざらんや」と。遂に頸を刎ねて死す。是の日越人甲を引きて七十里を退きて曰わく、「斉王臣有り、鈞しく雍門子狄の如くんば、越の社稷をして血食せざらしめんと擬す」と。遂に甲を引きて帰る。斉王雍門子狄を葬るに上卿の礼を以てす。