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驢鞍橋 / 卷上

一日示して曰く、今時の人佛法は悟らねば用に立たぬと思ふ也。其儀に非す。佛法と云ふは、只今の我心をよう用ひて、今用に立つる事なり。成程心を强う用ゆるを修行とす、心の强うなるほど次第に使はるる也。大に勤むれば大に德有り、少し勤むれば少しの德有り、譬へば萬石取には及はねども、千石取らば百石取には勝るが如し。分々に德を得る事也。扨亦悟入すれば、佛境界なりと思へり。そでも無き事也。縱ひ見解有るとも自由に使はるべからず。佛境界と云ふは各別の事也。只悟を求めずとも、修し行じて德に至るべしと也。

新字:一日示して曰く、今時の人仏法は悟らねば用に立たぬと思ふ也。其儀に非す。仏法と云ふは、只今の我心をよう用ひて、今用に立つる事なり。成程心を强う用ゆるを修行とす、心の强うなるほど次第に使はるる也。大に勤むれば大に徳有り、少し勤むれば少しの徳有り、譬へば万石取には及はねども、千石取らば百石取には勝るが如し。分々に徳を得る事也。扨亦悟入すれば、仏境界なりと思へり。そでも無き事也。縦ひ見解有るとも自由に使はるべからず。仏境界と云ふは各別の事也。只悟を求めずとも、修し行じて徳に至るべしと也。

書き下し

一日示して曰く、今時の人仏法は悟らねば用に立たぬと思ふ也。其儀に非す。仏法と云ふは、只今の我心をよう用ひて、今用に立つる事なり。成程心を强う用ゆるを修行とす、心の强うなるほど次第に使はるる也。大に勤むれば大に徳有り、少し勤むれば少しの徳有り、譬へば万石取には及はねども、千石取らば百石取には勝るが如し。分々に徳を得る事也。扨亦悟入すれば、仏境界なりと思へり。そでも無き事也。縦ひ見解有るとも自由に使はるべからず。仏境界と云ふは各別の事也。只悟を求めずとも、修し行じて徳に至るべしと也。

現代語訳

ある日示して言われた。今の人は、仏法は悟らなければ役に立たないと思っている。そうではない。仏法というのは、ただ今の自分の心をよく用いて、今役に立てることである。なるほど心を強く用いることを修行とする。心が強くなるほど、次第に使えるようになるのである。大いに勤めれば大いに徳があり、少し勤めれば少しの徳がある。たとえば、一万石取りには及ばなくても、千石取れば百石取りにはまさるようなものだ。分に応じて徳を得ることである。さてまた、悟入すれば仏の境界だと思っているが、そうでもないことだ。たとえ見解があっても、自由に使えるものではない。仏の境界というのは格別のことである。ただ悟りを求めなくても、修行して徳に至るべきである、と。

解説

悟らなければ仏法は役に立たない、という考えを正三は否定する。仏法とは今の自分の心をよく使い、今この場で役に立てることだ、と。大きく勤めれば大きな徳、少し勤めれば少しの徳がある、一万石に届かなくても千石は百石にまさる、という比喩は実に実務的である。完璧な悟りを待たず、今日の努力が今日の分だけ実を結ぶという考え方は、完成を待って行動しない人や、全か無かで考える人に大きな励ましとなる。

この章句が説くこと

実践分々の徳悟り実務積み重ね

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