驢鞍橋 / 卷上
夜話に曰く、實有と云ふ事離れがたき物也。我も人も家屋金銀萬事目の前にきらりつと有る事なれば、如何にしても無しとは思はれぬ也。兎角本性を見ずんば、實有は醒むへからす。我も此時節には逢ひたれとも、自由に使ふ事はならす。平生此糞袋に眼を着けて、行住坐臥大小便裏、少しも指置かす、□すだわ事の苦体め哉と、急度睨付けて居る機强く備つて居る也。然れどもまだはらりつと隙は明かぬ也。乍去我見解も少しなれとも、是程にても亦使はるる事有りと也。
新字:夜話に曰く、実有と云ふ事離れがたき物也。我も人も家屋金銀万事目の前にきらりつと有る事なれば、如何にしても無しとは思はれぬ也。兎角本性を見ずんば、実有は醒むへからす。我も此時節には逢ひたれとも、自由に使ふ事はならす。平生此糞袋に眼を着けて、行住坐臥大小便裏、少しも指置かす、□すだわ事の苦体め哉と、急度睨付けて居る機强く備つて居る也。然れどもまだはらりつと隙は明かぬ也。乍去我見解も少しなれとも、是程にても亦使はるる事有りと也。
書き下し
夜話に曰く、実有と云ふ事離れがたき物也。我も人も家屋金銀万事目の前にきらりつと有る事なれば、如何にしても無しとは思はれぬ也。兎角本性を見ずんば、実有は醒むへからす。我も此時節には逢ひたれとも、自由に使ふ事はならす。平生此糞袋に眼を着けて、行住坐臥大小便裏、少しも指置かす、□すだわ事の苦体め哉と、急度睨付けて居る機强く備つて居る也。然れどもまだはらりつと隙は明かぬ也。乍去我見解も少しなれとも、是程にても亦使はるる事有りと也。
現代語訳
夜話で言われた。実有(物が実在すると思う見方)ということは、離れがたいものである。自分も人も、家屋も金銀も、万事が目の前にきらりとあるのだから、どうしても無いとは思えない。とにかく本性を見なければ、実有の思いは醒めることがない。私もその時節には出会ったけれども、自由に使うことはできない。日頃から、この糞袋に目をつけて、行住坐臥、大小便のうちにも少しも放っておかず、□すだわ事の苦しい体め、ときっと睨みつけている気迫が強く備わっている。けれども、まだはらりと暇は明かない。とはいえ、私の見解も少しではあるが、これほどでもまた使えることがある、と。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『驢鞍橋』卷下夜話の次で、一貫此頃、修行少しだるみたると云ふ。師云く、夫れは我知らぬこと也。我はじりじりとたゞ物次第强に强まり、終に六十余にして、莫妄想の意不図と乗りたり。只其時は、莫妄想莫妄想と躍つて有り度心にて有り、実に頸を切らるゝとも、に成て居さうに有りし也。然れとも打捨て、自己に取て還し、様々こね来れども、今に糞袋の秘蔵の念は休ます。扨ても実と云ふ物は深き物哉と也。
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『驢鞍橋』卷上我書く処の如く、実有を離れたらば仏境界なるへし。見性の人も常住あの如く用ゐ得へからす。我も久しく强く用ふれども実は醒めぬ也。此前は强弓を引張りたるが如く、機の位有りけるが、今少し老敷成りて覚ゆ。此前は我は覚えさるか、不断眼すわつて見えたりと人いへり。誠に過去より種を持来る人は不知、一生に勢を出し種を取る事は、我ほどのも多くは有るへからす。我も慥に種は取りたる也。八万地獄の底に落ちたりとも、はや種はおとさぬ也。総して怨霊と成る程の機無くんば、種と成るへからすと也。
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『驢鞍橋』卷上夜話に曰く、修行と云ふ物、中中上り難き物也。我今十二時中坐禅ならさる事なし。喩へは大勢に交り、上下へかえし、相撲を取り、躍をゝとり、何程はね狂ひたりとも、坐禅の機少しもたじろくへからす。また好く若き時より心つきて自己を守りしが、其時分よりはや念には勝つてばかされざる也。夫れより次第よく修しつめ何たる事にもたじろかぬほどに仕付けたれども、まだ夫れでも生死の為めには不成、中々大儀な物也。
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『驢鞍橋』卷上夜話に曰く、古の祖師達にも、修行熟せるは少しと見えたり。大方小見解を是とし、経文語録を以て法語を書き、教化抔して語録等を残されたると思ふ也。なければこそ强く心を修した位を、誰でも書き残したる人なし。皆心安く隙を明けて成らぬと云ふ事を云ひ置きたる人なし。我は末世に残すならば、何とも成らぬ物ぢやと云ふ事を書付けて残すへしと也。
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『驢鞍橋』卷下夜話の次に曰く、我若き時より、総而言句を持たざる性也。今に仏法を持たす。尤も世事のことは、名聞を始め、胸中一物もなし。是に仍て人に逢ふても話すべきことなし。只によんとして、居る計也。人持ち来れば、応対事欠かす、我身より工み出して云ふべきことを持たす。乍去仏法のすべを直し度思ふと、人を能く成し度と思ふ念は强く有る也。此の外には他事なしと也。
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『驢鞍橋』卷下去る暁、左右に向て曰く、扨て扨て実は强物哉。何れも正三かまだいきて居ると思ひ、世にある物じやと思つて、我病に貪著し、之に機を取られて居るさうなと也。又曰く、死をはつしと守るべし、我常に是れ一つを云ふ也。正三は何年生きても、死より別に云ふことなしと也。