驢鞍橋 / 卷下
一日、食事の次、曰く、娑婆に出ては、なにとずして娑婆を費したるほど責めて、娑婆に功德をかへして行き度物也。時に長老有り曰く、三分か一もかへす者有るべからす。師曰く、いや職人の中には有るべし、殊に百姓に成てかへしたし。あゝ大事也大事也と也。
新字:一日、食事の次、曰く、娑婆に出ては、なにとずして娑婆を費したるほど責めて、娑婆に功徳をかへして行き度物也。時に長老有り曰く、三分か一もかへす者有るべからす。師曰く、いや職人の中には有るべし、殊に百姓に成てかへしたし。あゝ大事也大事也と也。
書き下し
一日、食事の次、曰く、娑婆に出ては、なにとずして娑婆を費したるほど責めて、娑婆に功徳をかへして行き度物也。時に長老有り曰く、三分か一もかへす者有るべからす。師曰く、いや職人の中には有るべし、殊に百姓に成てかへしたし。あゝ大事也大事也と也。
現代語訳
ある日、食事のついでに言われた。この世に生まれ出たからには、何とかして、この世を費やしたほどの分だけでも、せめてこの世に功徳を返していきたいものである。そのとき長老がいて言った。三分の一も返す者はいないでしょう。師は言われた。いや、職人の中にはいるだろう。とりわけ百姓になって返したい。ああ、大事だ、大事だ、と。
解説
この世に生まれて費やした分だけでも、世の中に功徳を返していきたい、と正三は食事の折に言う。三分の一も返せる者はいない、と言う長老に、職人の中には返している人がいるだろう、とくに百姓になって返したい、と答える。物を作り、食を生む人々こそが、世の中から受けた恩を返している。自分が社会から受け取っているものと、社会に返しているものを比べてみよ、という問いかけは今も重い。
この章句が説くこと
恩返し社会貢献職人百姓功徳消費
関連する章句
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『驢鞍橋』卷下一日、食時の次で、愕然として曰く、扨ても扨ても詮なきこと哉、日日食込み食込みするは是れ何の為めそや。食ては、娑婆を楽み楽み、あゝたわけたこと哉と也。
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『驢鞍橋』卷下一日、□事の時、愕然として曰く、扨ても食するもいやなこと哉。一粒に百手の功当ると云ふが、考へて見るに其の筈也。我らが様の者がむだと食ふ筈では無いと也。
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『驢鞍橋』卷下或る人語て曰く、此前、行脚の時、師好んて悪き宿を借り給ふ。我同じ銭を出しなから、悪き宿は御無用也と云ひければ、師曰く、同じ銭を出すならば、人の為めに成るやうにせでは。好き宿は、人毎に借る間、事欠かす。悪しき宿の人に借れず、つゝきかぬる処に助留りに留りたるは、功徳に非ずや。少し我身不自由なる分は、一夜のこと也と云つて、弥悪しき宿に留り給ふと也。
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『驢鞍橋』卷下一日、去る人来り曰く何某は殊勝の僧にて、常に誦経計せらるゝ也。師聞て曰く、夫れても娑婆は大切なるべしと也。
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『驢鞍橋』卷上一日或る長老来て曰く、衆僧に経を多く誦せ給ふ事御無用也。誦経する僧も心根は誦ざる僧と替る事なし。師聞て曰く、縦ひ心は替らずとも誦経して亡者を弔ひ、経に替へて飯を喰ふはまだよし。徒に食するは盗み喰ひ也。心こそ替らずとも責めて盗み喰せぬがよき也。
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『驢鞍橋』卷下誠に然るへきこと也何れの道の輩も、正直にその道を守り、家職をだに勤め居たらば、どこにありても天然と食分断ゆべからず諸人是れを知らす、家職を忘れて、非分に衣食を求る間、天命に叶はす、殊に出家人抔は、何くの野の末、山の奥にありても、仏制に背かす、仏行を正くし、真の道をだに守り居らば、食尽くべからずと也