驢鞍橋 / 卷下
或る人語て曰く、此前より、病中に終に病の惡いと云ひ玉ひたることなし、只此體の惡いと計り云ひ給ふと也。
新字:或る人語て曰く、此前より、病中に終に病の悪いと云ひ玉ひたることなし、只此体の悪いと計り云ひ給ふと也。
書き下し
或る人語て曰く、此前より、病中に終に病の悪いと云ひ玉ひたることなし、只此体の悪いと計り云ひ給ふと也。
現代語訳
ある人が語って言った。以前から、病気の間に、ついに病が悪いとおっしゃったことはない。ただこの体が悪い、とばかりおっしゃっていた、という。
解説
正三は病の間、一度も病気が悪いとは言わず、ただこの体が悪い、とだけ言っていた、とある人が語る。病を外から来た災いと見るのではなく、苦しみの根はこの身体そのもの、身体への執着にある、と見ていたからである。症状を嘆くのではなく、苦しみを生む根本に目を向け続けた。わずかな証言だが、正三の不浄観と身体への向き合い方が、日々の言葉遣いにまで貫かれていたことを伝えている。
この章句が説くこと
病身体不浄観根本言葉遣い証言
関連する章句
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『驢鞍橋』卷下去る夜、小用に出て給ふ次で、身を扣て曰く、咳、むさい糞袋哉。大小用の時は、一入髄に徹して不浄の体哉と、いやに思はるゝ也。扨て扨て詮も無き物哉と也。常住坐臥に付て、何の詮もなき物哉詮もなき物哉と也。又時々あゝ大義じやよ大義じやよと大息をつき給ひ、睡眠の中にも吐息有りし也。又僧俗、毎夜床を取廻して坐するに、何として何としてと時々警策有りし也。
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『驢鞍橋』卷下一日、去る病者に向て曰く、病は好き菩提の種也。然れとも只好く成りたいと計り思つて、只在て果すらんと也。
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『驢鞍橋』卷下去る暁、左右に向て曰く、扨て扨て実は强物哉。何れも正三かまだいきて居ると思ひ、世にある物じやと思つて、我病に貪著し、之に機を取られて居るさうなと也。又曰く、死をはつしと守るべし、我常に是れ一つを云ふ也。正三は何年生きても、死より別に云ふことなしと也。
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『驢鞍橋』卷下つきの日、仏法病ある者を呵して曰く、其方は仏法有り、我は仏法なし。何としても格合ふべからす。向後出入無用也。又曰く、総じて人人此腐物を持ちながら、是れに眼を著けす、余所を沙汰して過す物也。扨て扨て愚也。昨日も正庵大息をつき病み苦むを見て、髄に透ていやな体哉と思はるゝ也。我始めより是れに眼を著けて修す。余所仏法に眼を着けす、今は大事に成り、いやに迫て居ること、其親に離れたそ、子を殺してずと云ふ様なことに非す、中中切也。この年迄如是すれとも、隙え明けぬ故に、是とは云はれねども、乍去我程にしつめたる人も多くはあらじと也。
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『驢鞍橋』卷下己の五月廿八日の暁曰く、御坊主達もきつと弓を張りたるか如く、張合の心出るや、扨て又痛い痒いと、一切に付ていやな体哉と、きつと境界と張合て居る心有るやと也。去る者、何某病気なるが、一定死に窮て居ると語る。師聞て曰く、扨ても强者哉、是れ貴き人也。老病究りても、心しに切れぬ物也。
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『驢鞍橋』卷下去る暁、衆中に向て曰く、扨てもたわけたこと哉、何の変も無い物を楽むこと也。立つも苦、居るも苦、熱も苦、寒も苦、痛も苦、痒も苦、病苦死苦有り、扨て又随ふを愛し、背くを怨み、扨て扨ていやな苦体哉。平生此の道理計を考へたるか能き也。誠に此の腐物に付で一として楽むべきこと無きか、何としても秘蔵にて居る也。