驢鞍橋 / 卷上
去る曉衆に向て曰く、何れも志は有れども眞實起らずと見えたり。何とぞ此方より力を出し、性の肯ふ程授くべし。又曰く、耳如何程あきたるや、心元なし。能き耳を持ちたる者は、人の爲めに寳也。因に去る者問、某如きは先づ自己を勤めて、人の爲めに法を說かさるか增しかと存ず。此儀如何。師曰く、中々自己を拔かして妄に口を叩き廻はるは惡敷也。只自らも眞實を起し人をも勸めて、眞實を起さしむるがよき也。
新字:去る暁衆に向て曰く、何れも志は有れども真実起らずと見えたり。何とぞ此方より力を出し、性の肯ふ程授くべし。又曰く、耳如何程あきたるや、心元なし。能き耳を持ちたる者は、人の為めに宝也。因に去る者問、某如きは先づ自己を勤めて、人の為めに法を説かさるか增しかと存ず。此儀如何。師曰く、中々自己を抜かして妄に口を叩き廻はるは悪敷也。只自らも真実を起し人をも勧めて、真実を起さしむるがよき也。
書き下し
去る暁衆に向て曰く、何れも志は有れども真実起らずと見えたり。何とぞ此方より力を出し、性の肯ふ程授くべし。又曰く、耳如何程あきたるや、心元なし。能き耳を持ちたる者は、人の為めに宝也。因に去る者問、某如きは先づ自己を勤めて、人の為めに法を説かさるか增しかと存ず。此儀如何。師曰く、中々自己を抜かして妄に口を叩き廻はるは悪敷也。只自らも真実を起し人をも勧めて、真実を起さしむるがよき也。
現代語訳
ある明け方、衆に向かって言われた。みな志はあるが、真実が起こっていないと見える。どうか、こちらから力を出して、性分が納得するほどに授けたいものだ。また言われた。耳はどれほど開いているか。心もとない。良い耳を持っている者は、人のために宝である。ついでに、ある者が尋ねた。私などは、まず自己を勤めて、人のために法を説かないほうがましかと存じます。これはいかがでしょうか。師は言われた。なるほど、自己を抜かしてむやみに口をたたき回るのは悪い。ただ自らも真実を起こし、人にも勧めて、真実を起こさせるのがよいのである、と。
解説

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