驢鞍橋 / 卷上
一日去る人來て曰く、某甲先祖以來餌指也、是れを止め候へば餓死仕る也。此業を以て成佛仕るやうに示し給へと云ふ。師曰、地獄には心が落つる也。鳥を殺すごとに我心をひつゝかんでは殺し殺しすべし。如是して一切の心を殺し盡さば成佛也。
新字:一日去る人来て曰く、某甲先祖以来餌指也、是れを止め候へば餓死仕る也。此業を以て成仏仕るやうに示し給へと云ふ。師曰、地獄には心が落つる也。鳥を殺すごとに我心をひつゝかんでは殺し殺しすべし。如是して一切の心を殺し尽さば成仏也。
書き下し
一日去る人来て曰く、某甲先祖以来餌指也、是れを止め候へば餓死仕る也。此業を以て成仏仕るやうに示し給へと云ふ。師曰、地獄には心が落つる也。鳥を殺すごとに我心をひつゝかんでは殺し殺しすべし。如是して一切の心を殺し尽さば成仏也。
現代語訳
ある日、ある人が来て言った。私は先祖以来、餌指(鷹の餌の小鳥を捕る役)です。これをやめれば餓死します。この仕事によって成仏できるように示してください。師は言われた。地獄には心が落ちるのである。鳥を殺すたびに、自分の心を引っつかんでは殺し殺ししなさい。このようにして一切の心を殺し尽くせば、成仏である、と。
解説
先祖代々、鷹の餌となる小鳥を捕る仕事をしている人が、この仕事で成仏する道を求めた。正三は、地獄に落ちるのは行為ではなく心だ、鳥を殺すたびに自分の心も一緒に殺せ、と答える。生きるために殺生せざるをえない職業の人を見捨てず、その仕事の中に修行の道を示している。職業に貴賤なし、どんな仕事にも仏道があるという正三の考えが、最も切実な形で表れた条である。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
職業即仏行殺生餌指心生業成仏
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