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驢鞍橋 / 卷下

其後六年程勇に勇んで念佛しけるか、一日、子を近付け、我今日死する間、をりずの玄正に來り給へと云ふ。子不思議に思ひながら、玄正に人を使ふ。玄正來り給へば、彼者かくと語り、今日はこれに御留候へと、さゝき飯抔云ひ付ける。非時過れは、彼者坐を正しくす。子病なくして、何か死せらるべきと思ひなから、父に向ひ、若しも仰せ置かるゝ義候はゞ承り置かんと云ふ。父聞て、六十年たわ言つきたさへあるに、また死たわ言まてつけと云ふかと云て、ぬんとして只有りけり。良有て云ひ置度こと一つ有れとも、聞え知るまいと云ふ子是非に仰せ置き給へと云ふ。父いや夢じやさと云ふ。子誠に夢にて候者哉、親の子のと申すも、夢中に戯れに罷成ると打嘆て挨拶す。父曰く、左樣の道理の間の夢に非す、只夢じやさと云て、其儘往生す。我ちよつと造りて示しければ、加様に德を取りたる者有り。何れも五つの中どれなりとも、緣有る所を取り念佛せらるべし。信力に隨ふて心德有るべしと也。

新字:其後六年程勇に勇んで念仏しけるか、一日、子を近付け、我今日死する間、をりずの玄正に来り給へと云ふ。子不思議に思ひながら、玄正に人を使ふ。玄正来り給へば、彼者かくと語り、今日はこれに御留候へと、さゝき飯抔云ひ付ける。非時過れは、彼者坐を正しくす。子病なくして、何か死せらるべきと思ひなから、父に向ひ、若しも仰せ置かるゝ義候はゞ承り置かんと云ふ。父聞て、六十年たわ言つきたさへあるに、また死たわ言まてつけと云ふかと云て、ぬんとして只有りけり。良有て云ひ置度こと一つ有れとも、聞え知るまいと云ふ子是非に仰せ置き給へと云ふ。父いや夢じやさと云ふ。子誠に夢にて候者哉、親の子のと申すも、夢中に戯れに罷成ると打嘆て挨拶す。父曰く、左様の道理の間の夢に非す、只夢じやさと云て、其儘往生す。我ちよつと造りて示しければ、加様に徳を取りたる者有り。何れも五つの中どれなりとも、縁有る所を取り念仏せらるべし。信力に随ふて心徳有るべしと也。

書き下し

其後六年程勇に勇んで念仏しけるか、一日、子を近付け、我今日死する間、をりずの玄正に来り給へと云ふ。子不思議に思ひながら、玄正に人を使ふ。玄正来り給へば、彼者かくと語り、今日はこれに御留候へと、さゝき飯抔云ひ付ける。非時過れは、彼者坐を正しくす。子病なくして、何か死せらるべきと思ひなから、父に向ひ、若しも仰せ置かるゝ義候はゞ承り置かんと云ふ。父聞て、六十年たわ言つきたさへあるに、また死たわ言まてつけと云ふかと云て、ぬんとして只有りけり。良有て云ひ置度こと一つ有れとも、聞え知るまいと云ふ子是非に仰せ置き給へと云ふ。父いや夢じやさと云ふ。子誠に夢にて候者哉、親の子のと申すも、夢中に戯れに罷成ると打嘆て挨拶す。父曰く、左様の道理の間の夢に非す、只夢じやさと云て、其儘往生す。我ちよつと造りて示しければ、加様に徳を取りたる者有り。何れも五つの中どれなりとも、縁有る所を取り念仏せらるべし。信力に随ふて心徳有るべしと也。

現代語訳

その後、六年ほど勇みに勇んで念仏していたが、ある日、子を近くに呼び、私は今日死ぬから、をりずの玄正に来ていただけ、と言う。子は不思議に思いながら、玄正に使いを出した。玄正が来られると、その者はこういうわけだと語り、今日はこちらにお留まりください、と言って、ささげ飯などを言いつけた。非時(昼過ぎ)を過ぎると、その者は座を正した。子は、病もないのにどうして死なれようかと思いながら、父に向かって、もし言い置かれることがございましたら、承っておきましょう、と言う。父は聞いて、六十年たわ言をついてきたうえに、また死のたわ言までつけと言うのか、と言って、どっしりとしてただそこにいた。しばらくして、言い置きたいことが一つあるが、聞いても分かるまい、と言う。子は、ぜひお言い置きください、と言う。父は、いや、夢じゃさ、と言う。子は、まことに夢でございますね、親だ子だと申しても、夢の中の戯れでございます、と嘆いて応じた。父は言った。そういう道理の上での夢ではない。ただ夢じゃさ、と言って、そのまま往生した。私がちょっと作って示しただけでも、このように徳を取った者がいる。誰でも、五つの中のどれでも、縁のあるものを取って念仏されるがよい。信の力に従って、心に徳があるだろう、と。

解説

截断の念仏一つを六年唱え続けた百姓は、ある日、今日死ぬと言って僧を呼び、座を正した。遺言を求める子に、六十年たわ言を言ってきたのに死ぬときまでたわ言を言えというのか、と答え、ただ夢じゃさ、と言い残して往生した。親子も夢の戯れですね、と理屈で応じた子に、そんな道理の夢ではない、と退けたところに、言葉を超えた境地が表れている。正三がとっさに作った教えでも、一筋に守れば人はここまで至る、という感動的な結末である。

この章句が説くこと

往生念仏一筋百姓継続

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