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驢鞍橋 / 卷下

我も寳物集にて諸行無常の文に、雪山童子命を代へ給ふ因緣を見て、ひしと諸行無常の意移りたり、又その後六十の年、去る曉寅の刻、佛の三界の衆生を一子の如く思召御心ひしと移る。誠にその時は蟻螻を見ても、生涯を樂み苦む有樣、憐に思ひ、何とそ救ふ方便や有らんと、髓に透つて思れたり。その心も三日乘て失す。乍去是は今にも德になるなり。其よりして少し慈悲心起れり、又性の位も無きに非ず、是れも六十一の歲八月廿七の日、明くれは甘八日の曉、はらりと生死を離れ、慥に本性に契ふ。その當意は只なしなしなしなしと躍て計有度心にてありし也。誠にその時は、頸を切るゝとも、なしなしと毛頭も實なく思はれたり。三十日程如是して過しけるか、我思はいや我に似合はぬこと也。只一機の上にて移りたることなるべしと思ひ、こちより打捨て、本に取て歸り、彼死を胸の中へぼし籠んで、强く修し行せし也。案の如く皆虚ことにて、今に正三と云ふ糞袋は秘藏也。又その後同しことなから、普化の意道ならば、三町計り行く程か間、慥に移れり。是れは大に德に成る也。我も普化程には、世世生々に於て修し付けんと思ふ心强ふ起れり。普化は慥に佛境界の人と覺えたり。河陽、木塔、臨濟を新婦子老婆小斷兒と云はれたるは道理なり。普化の眼より見ては、皆無眼子なるべし。

新字:我も宝物集にて諸行無常の文に、雪山童子命を代へ給ふ因縁を見て、ひしと諸行無常の意移りたり、又その後六十の年、去る暁寅の刻、仏の三界の衆生を一子の如く思召御心ひしと移る。誠にその時は蟻螻を見ても、生涯を楽み苦む有様、憐に思ひ、何とそ救ふ方便や有らんと、髄に透つて思れたり。その心も三日乗て失す。乍去是は今にも徳になるなり。其よりして少し慈悲心起れり、又性の位も無きに非ず、是れも六十一の歳八月廿七の日、明くれは甘八日の暁、はらりと生死を離れ、慥に本性に契ふ。その当意は只なしなしなしなしと躍て計有度心にてありし也。誠にその時は、頸を切るゝとも、なしなしと毛頭も実なく思はれたり。三十日程如是して過しけるか、我思はいや我に似合はぬこと也。只一機の上にて移りたることなるべしと思ひ、こちより打捨て、本に取て帰り、彼死を胸の中へぼし籠んで、强く修し行せし也。案の如く皆虚ことにて、今に正三と云ふ糞袋は秘蔵也。又その後同しことなから、普化の意道ならば、三町計り行く程か間、慥に移れり。是れは大に徳に成る也。我も普化程には、世世生々に於て修し付けんと思ふ心强ふ起れり。普化は慥に仏境界の人と覚えたり。河陽、木塔、臨済を新婦子老婆小断児と云はれたるは道理なり。普化の眼より見ては、皆無眼子なるべし。

書き下し

我も宝物集にて諸行無常の文に、雪山童子命を代へ給ふ因縁を見て、ひしと諸行無常の意移りたり、又その後六十の年、去る暁寅の刻、仏の三界の衆生を一子の如く思召御心ひしと移る。誠にその時は蟻螻を見ても、生涯を楽み苦む有様、憐に思ひ、何とそ救ふ方便や有らんと、髄に透つて思れたり。その心も三日乗て失す。乍去是は今にも徳になるなり。其よりして少し慈悲心起れり、又性の位も無きに非ず、是れも六十一の歳八月廿七の日、明くれは甘八日の暁、はらりと生死を離れ、慥に本性に契ふ。その当意は只なしなしなしなしと躍て計有度心にてありし也。誠にその時は、頸を切るゝとも、なしなしと毛頭も実なく思はれたり。三十日程如是して過しけるか、我思はいや我に似合はぬこと也。只一機の上にて移りたることなるべしと思ひ、こちより打捨て、本に取て帰り、彼死を胸の中へぼし籠んで、强く修し行せし也。案の如く皆虚ことにて、今に正三と云ふ糞袋は秘蔵也。又その後同しことなから、普化の意道ならば、三町計り行く程か間、慥に移れり。是れは大に徳に成る也。我も普化程には、世世生々に於て修し付けんと思ふ心强ふ起れり。普化は慥に仏境界の人と覚えたり。河陽、木塔、臨済を新婦子老婆小断児と云はれたるは道理なり。普化の眼より見ては、皆無眼子なるべし。

現代語訳

私も『宝物集』で、諸行無常の文のために雪山童子が命を代えられた因縁を見て、ひしと諸行無常の意が移ってきた。またその後、六十歳の年、ある明け方の寅の刻に、仏が三界の衆生を一人子のように思し召すお心が、ひしと移ってきた。本当にそのときは、蟻やおけらを見ても、その一生を楽しみ苦しむありさまが憐れに思われ、何とか救う方便はないかと、骨身にしみて思われた。その心も三日持って失せた。とはいえ、これは今でも徳になっている。それから少し慈悲心が起こった。また性の位もないわけではない。これも六十一歳の八月二十七日、明ければ二十八日の明け方、はらりと生死を離れ、確かに本性にかなった。そのときは、ただ無し無し無し無し、と躍り上がるばかりの心であった。本当にそのときは、首を切られても、無し無しと、少しも実在と思われなかった。三十日ほどこのようにして過ごしたが、私は思った。いや、自分に似合わないことだ。ただ一時の気迫の上で移ったことだろう、と思い、こちらから打ち捨てて、元に取って返し、あの死を胸の中へぐっと押し込んで、強く修行したのである。案のとおり、みな嘘ごとで、今に正三という糞袋は大切である。またその後、同じようなことではあるが、普化の意が、道なら三町ほど行く間、確かに移ってきた。これは大いに徳になっている。私も普化ほどには、生まれ変わり死に変わりしても修め付けようと思う心が強く起こった。普化は確かに仏の境界の人だと思われる。河陽、木塔、臨済を、新婦子、老婆、小断児と言われたのは道理である。普化の目から見れば、みな無眼子であろう。

解説

正三が自らの悟りの体験を具体的に語る、極めて貴重な一段である。六十歳で衆生への慈悲が身に移り、六十一歳の八月二十八日の明け方、生死を離れて本性にかなったと感じ、三十日ほど無し無しと躍るような境地にあった。しかし正三は、これは一時の気分にすぎないと自ら打ち捨て、死の自覚に立ち返って修行を続けた。そして実際、身体への執着は消えていなかった、と。大きな体験に安住せず、自ら疑って捨てる姿勢こそが、正三の真骨頂である。

この章句が説くこと

悟り体験慈悲普化自己点検安住しない晩年

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