驢鞍橋 / 卷上
一日示して曰く、修行者は萬事に誠有りて能く愼むべき也。三寳を輕んじ、人を蔑にして天命盡きば、何事をも成すべからすと也。
新字:一日示して曰く、修行者は万事に誠有りて能く慎むべき也。三宝を軽んじ、人を蔑にして天命尽きば、何事をも成すべからすと也。
書き下し
一日示して曰く、修行者は万事に誠有りて能く慎むべき也。三宝を軽んじ、人を蔑にして天命尽きば、何事をも成すべからすと也。
現代語訳
ある日示して言われた。修行者は、万事に誠があって、よく慎まなければならない。三宝を軽んじ、人をないがしろにして天命が尽きれば、何事も成すことはできない、と。
解説
短い条だが、修行者の基本を簡潔に示している。何事にも誠実で、慎み深くあれ。仏法僧を軽んじ、人をないがしろにする者は、天命が尽きれば何も成し遂げられない、と。気迫や勇猛心を強調する正三だが、その土台には誠と慎みがある。強さだけを求めて、人への敬意や誠実さを失えば、どれほど力があっても最後には何も残らない。力と誠実さの両立を求める戒めである。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
誠慎み敬意三宝天命土台
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