驢鞍橋 / 卷上
一日或僧に示して曰く、出家は古則を守り習ふが好き也。趙州の無を見るべし。機を强く用ひ、十二時中一切の上に於て、無々々々と守り、夢中ともに抜けぬ程にすべし。就中死を守るは失なしと也。
新字:一日或僧に示して曰く、出家は古則を守り習ふが好き也。趙州の無を見るべし。機を強く用ひ、十二時中一切の上に於て、無々々々と守り、夢中ともに抜けぬ程にすべし。就中死を守るは失なしと也。
書き下し
一日或僧に示して曰く、出家は古則を守り習ふが好き也。趙州の無を見るべし。機を强く用ひ、十二時中一切の上に於て、無々々々と守り、夢中ともに抜けぬ程にすべし。就中死を守るは失なしと也。
現代語訳
ある日ある僧に示して言われた。出家は古則(公案)を守り習うのがよい。趙州の無を見なさい。気迫を強く用いて、一日中あらゆることの上で、無、無と守り、夢の中でも抜けないほどにしなさい。とりわけ死を守るのは、間違いのないことである、と。
解説
趙州の無は、犬に仏性があるかと問われて趙州が無と答えた、禅で最もよく知られる公案である。正三はこれを一日中守れと言いつつ、最後に、とりわけ死を守るのが確かだ、と付け加える。死を守るとは、いつ死ぬか分からない身であることを片時も忘れないことで、正三の教えに繰り返し現れる。公案の理屈より、死を目の前に置いて生きるほうが間違いがない、という実践家の率直な判断がにじむ短い条である。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
趙州無字公案死を守る無常集中修行
関連する章句
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『驢鞍橋』卷上一日去る遁世者来て、修行の用心を問ふ。師示して曰く、万事を打置て唯死に習はるべし。常に死に習つて、死の隙を明け、誠に死する時、驚かぬやうにすべし。□て死に習はるべし。彼者云、盲安杖を常に披見仕る、是等を見る事も悪しや。師曰、見て覚ゆる事は皆怨也。只念仏を以て死を軽くすべし。
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『無門関』第一則 趙州狗子無門曰く、参禅は須らく祖師の関を透るべし。妙悟は心路を窮めて絶せんことを要す。祖関透らず、心路絶せずんば、尽く是れ依草附木の精霊ならん。且く道え、如何なるか是れ祖師の関。只だ者の一箇の無字、乃ち宗門の一関なり。遂に之を目けて禅宗無門関と曰う。透得過する者は、但だ親しく趙州に見ゆるのみに非ず、便ち歴代の祖師と手を把って共に行き、眉毛廝い結んで、同一眼に見、同一耳に聞くべし。豈に慶快ならざらんや。透関を要する底有ること莫しや。三百六十の骨節、八万四千の毫竅を将て、通身に箇の疑団を起こして、箇の無字に参ぜよ。昼夜に提撕して、虚無の会を作すこと莫かれ、有無の会を作すこと莫かれ。箇の熱鉄丸を呑了するが如くに相似て、吐けども又た吐き出さず。従前の悪知悪覚を蕩尽して、久久に純熟すれば、自然に内外打成一片ならん。啞子の夢を得るが如く、只だ自知することを許す。驀然として打発せば、天を驚かし地を動ぜん。関将軍の大刀を奪い得て手に入るるが如く、仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、生死岸頭に於いて大自在を得、六道四生の中に向かって遊戯三昧ならん。且く作麼生か提撕せん。平生の気力を尽くして、箇の無字を挙せよ。若し間断せずんば、好し、法燭の一点すれば便ち著くに似ん。頌に曰く、狗子仏性、全提正令。纔かに有無に渉れば、喪身失命せん。
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『驢鞍橋』卷中工夫を做すに、箇の死の字を把って額上に貼在し、血肉の身心を将て死し去るが如く一般にし、祇だ究明せんと要する底の這の一念子の現前する有るのみ。師云はく、始めより死ぬ事一つを云ふ也。各も定て不審に思はれんす、我も前証なき事かと思ひけるが、此の書は我法の証拠に渡れり、誠に此死においては、髄に徹して居る也、何としても死なれぬものぞと也。
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『驢鞍橋』卷下一日、示して曰く、常に禅定に住し習ふべしと言ふは、常住機を抜さぬこと也。明日死すと窮らば、無理にも機は抜されまし、死を忘るゝ故に、機は抜ける也。歯を喰合せ眼をすゑ、只今死すと守るべし。何としても只は抜けかちの物也。責めて憂成るほどなくては叶はす。勇猛の機も、是れより出つる也。扨て又只今死するは、眼前のこと也。油断せらるゝことに非ずと也。
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『驢鞍橋』卷下去る暁、左右に向て曰く、扨て扨て実は强物哉。何れも正三かまだいきて居ると思ひ、世にある物じやと思つて、我病に貪著し、之に機を取られて居るさうなと也。又曰く、死をはつしと守るべし、我常に是れ一つを云ふ也。正三は何年生きても、死より別に云ふことなしと也。
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『驢鞍橋』卷上一日老婆二三人来り、法要を問ふ。師我何にても教ふべき事を知らずと也。良有りて不図云ふ、しぬずよしぬずよ死ぬ事を忘れずして、念仏申しめされよと也。