驢鞍橋 / 卷上
然る間住持は檀那寺に參る度每に、搆へて畜生に成りめさるゝなと是計り云ふべき也。亦御坊主に非行惡事あらば、檀那の過として過錢を出すべしと、急度申付くべき也。如是せば、住持威儀正く、師檀共に自ら成佛の道に達すべし。其上に亦御公儀より、寺目付と云ふ者を付け給ふ間、非行に於ては急度法度に行ふへしと相觸れ、扨右の道理を寺方へも檀方へも、御公儀よりひしと仰付けられば、三寳の威光顯はれ國土明にして安樂世界と成るへき也。我若き時より佛法を以て國土を治むる事、胸に折籠めて居けるが、此畜生一つを以て治むる事を思出す也。是計りはよう思出したではをり無いか、世界の惡事は何事も愚癡より出づるなり。三毒の心と云ふも、我は愚癡一つと思ふ也。此道理御公儀へ申達し度、强う思へども時に逢はず、何と此中に用に立つる人あらんや、心元なし。御坊主達聞置いてくれめされよと也。
新字:然る間住持は檀那寺に参る度毎に、搆へて畜生に成りめさるゝなと是計り云ふべき也。亦御坊主に非行悪事あらば、檀那の過として過銭を出すべしと、急度申付くべき也。如是せば、住持威儀正く、師檀共に自ら成仏の道に達すべし。其上に亦御公儀より、寺目付と云ふ者を付け給ふ間、非行に於ては急度法度に行ふへしと相触れ、扨右の道理を寺方へも檀方へも、御公儀よりひしと仰付けられば、三宝の威光顕はれ国土明にして安楽世界と成るへき也。我若き時より仏法を以て国土を治むる事、胸に折籠めて居けるが、此畜生一つを以て治むる事を思出す也。是計りはよう思出したではをり無いか、世界の悪事は何事も愚痴より出づるなり。三毒の心と云ふも、我は愚痴一つと思ふ也。此道理御公儀へ申達し度、強う思へども時に逢はず、何と此中に用に立つる人あらんや、心元なし。御坊主達聞置いてくれめされよと也。
書き下し
然る間住持は檀那寺に参る度毎に、搆へて畜生に成りめさるゝなと是計り云ふべき也。亦御坊主に非行悪事あらば、檀那の過として過銭を出すべしと、急度申付くべき也。如是せば、住持威儀正く、師檀共に自ら成仏の道に達すべし。其上に亦御公儀より、寺目付と云ふ者を付け給ふ間、非行に於ては急度法度に行ふへしと相触れ、扨右の道理を寺方へも檀方へも、御公儀よりひしと仰付けられば、三宝の威光顕はれ国土明にして安楽世界と成るへき也。我若き時より仏法を以て国土を治むる事、胸に折籠めて居けるが、此畜生一つを以て治むる事を思出す也。是計りはよう思出したではをり無いか、世界の悪事は何事も愚癡より出づるなり。三毒の心と云ふも、我は愚癡一つと思ふ也。此道理御公儀へ申達し度、强う思へども時に逢はず、何と此中に用に立つる人あらんや、心元なし。御坊主達聞置いてくれめされよと也。
現代語訳
だから住職は、檀家に参るたびに、決して畜生になってはならない、とこれだけを言うべきである。また御坊主に非行や悪事があれば、檀家の過ちとして過料を出させる、ときっと申し付けるべきである。このようにすれば、住職は威儀正しく、師も檀家もともに、おのずから成仏の道に達するだろう。そのうえにまた、公儀から寺目付という者を付けられるので、非行があればきっと処罰する、と触れ、さて右の道理を寺方にも檀家にも、公儀からひしと仰せつけられるなら、三宝の威光が現れ、国土は明るくなって、安楽世界となるだろう。私は若いときから、仏法によって国土を治めることを胸に秘めていたが、この畜生一つで治めることを思い出したのである。これだけはよく思い出したではないか。世界の悪事は、何事も愚痴から出るのである。三毒の心というのも、私は愚痴一つだと思う。この道理を公儀に申し上げたいと強く思うが、時に遭わない。この中に、これを役立てる人がいるだろうか。心もとない。御坊主たち、聞いておいてください、と。
解説

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『韓非子』難一第三十六郄子因りて曰く、「胡ぞ以て徇へざる」と。其の僕曰く、「曩には将に之を救はんとするにあらずや」と。郄子曰く、「吾敢て謗を分かたざらんや」と。或ひと曰く、郄子の言は、察せざる可からざるなり、謗を分かつに非ざるなり。韓子の斬る所や、若し罪人ならば、則ち救ふ可からず、罪人を救ふは、法の敗るる所以なり、法敗るれば則ち国乱る。若し罪人に非ざれば、則ち之に勧むるに徇ふるを以てす可からず、之に勧むるに徇ふるを以てするは、是れ不辜を重ぬるなり、不辜を重ぬるは、民の怨みを起こす所以の者なり、民怨めば則ち国危ふし。郄子の言は、危ふからざれば則ち乱る、察せざる可からざるなり。且つ韓子の斬る所若し罪人ならば、郄子奚ぞ分かたん。斬ること若し罪人に非ざれば、則ち已に之を斬れり、而して郄子乃ち至る、是れ韓子の謗已に成りて郄子且つ後れて至るなり。夫れ郄子の「以て徇へよ」と曰ふは、以て人を斬るの謗を分かつに足らずして、又徇ふるの謗を生ず。是れ子謗を分かつと言ふか。昔者紂炮烙を為る、崇侯・悪来又渉る者の脛を斬れと曰ふ、奚ぞ紂の謗を分かたん。且つ民の上に望むや甚だし、韓子得ざれば、且に郄子の之を得んことを望まんとす。今郄子俱に得ず、則ち民上に望みを絶たん。故に曰く、郄子の言は謗を分かつに非ず、謗を益すなり、と。且つ郄子の往きて罪を救ふや、韓子を以て非と為すなり。其の非と為す所以を道はずして、之に「以て徇へよ」と勧む、是れ韓子をして其の過を知らざらしむるなり。夫れ下は民をして望みを上に絶たしめ、又韓子をして其の失を知らざらしむ、吾未だ郄子の謗を分かつ所以の者を得ざるなり。桓公管仲の束縛を解きて之を相とす。管仲曰く、「臣寵有り、然り而して臣卑し」と。公曰く、「子をして高・国の上に立たしめん」と。管仲曰く、「臣貴し、然り而して臣貧し」と。公曰く、「子をして三帰の家を有たしめん」と。管仲曰く、「臣富めり、然り而して臣䟽し」と。是に於て立てて以て仲父と為す。
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