驢鞍橋 / 卷下
同十八日、去る俗士來り、某今迄終に佛法承らす、油斷者也と云つて法要を問ふ。師曰く、何くにても聞きめされぬか仕合也。若し聞きめされたらば、疾く悟て隙を明けめさるべし。總而聞きて合點して置くことに非す。只修し行して、少し宛も心の垢を拔くこと也。暗心も明く成り、弱心も强く成る樣に修すること、先つ大すべを心得めされよと也。
新字:同十八日、去る俗士来り、某今迄終に仏法承らす、油断者也と云つて法要を問ふ。師曰く、何くにても聞きめされぬか仕合也。若し聞きめされたらば、疾く悟て隙を明けめさるべし。総而聞きて合点して置くことに非す。只修し行して、少し宛も心の垢を抜くこと也。暗心も明く成り、弱心も强く成る様に修すること、先つ大すべを心得めされよと也。
書き下し
同十八日、去る俗士来り、某今迄終に仏法承らす、油断者也と云つて法要を問ふ。師曰く、何くにても聞きめされぬか仕合也。若し聞きめされたらば、疾く悟て隙を明けめさるべし。総而聞きて合点して置くことに非す。只修し行して、少し宛も心の垢を抜くこと也。暗心も明く成り、弱心も强く成る様に修すること、先つ大すべを心得めされよと也。
現代語訳
同じ十八日、ある俗人が来て、私は今まで一度も仏法を承ったことがない、油断者です、と言って、法の要を尋ねた。師は言われた。どこでも聞かれなかったのは幸せである。もし聞いておられたら、早く悟って暇を明けてしまわれただろう。おおよそ、聞いて納得しておくことではない。ただ修行して、少しずつでも心の垢を抜くことである。暗い心も明るくなり、弱い心も強くなるように修めること、まずこの大筋を心得なさい、と。
解説
今まで仏法を聞いたことがない、と恥じる人に、正三は、それは幸せだ、と言う。聞いていたら、分かったつもりになって、それで終わりにしていただろう、と。仏法は聞いて納得しておくものではなく、実践して少しずつ心の垢を落とし、暗い心を明るく、弱い心を強くしていくものだ、と。知識がないことを恥じる人に、むしろ先入観がないことが強みになる、と励ます。学び始めの人への温かい言葉である。
この章句が説くこと
初心者実践心の垢先入観励まし修行
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