驢鞍橋 / 卷上
一日去る人來り、病者故に佛法を思ふ事成らずと云ふ。師聞て曰く、扨もよき病哉、羨敷病也。其れならば定めて世間の事も病機故に思はれまじ、是れに增したる事なし。身をも娑婆をもぐつと忘れ果てらるべし。總じて佛道と云ふは一切を思はぬ事也。
新字:一日去る人来り、病者故に仏法を思ふ事成らずと云ふ。師聞て曰く、扨もよき病哉、羨敷病也。其れならば定めて世間の事も病機故に思はれまじ、是れに增したる事なし。身をも娑婆をもぐつと忘れ果てらるべし。総じて仏道と云ふは一切を思はぬ事也。
書き下し
一日去る人来り、病者故に仏法を思ふ事成らずと云ふ。師聞て曰く、扨もよき病哉、羨敷病也。其れならば定めて世間の事も病機故に思はれまじ、是れに增したる事なし。身をも娑婆をもぐつと忘れ果てらるべし。総じて仏道と云ふは一切を思はぬ事也。
現代語訳
ある日、ある人が来て、病人なので仏法を思うことができません、と言った。師は聞いて言われた。なんとも良い病だな。羨ましい病である。それならば、きっと世間のことも病気のせいで思えないだろう。これに増したことはない。身も娑婆もすっかり忘れ果てられるがよい。おおよそ仏道というのは、一切を思わないことである、と。
解説
病気で仏法を考えることもできないと嘆く人に、正三は、それは羨ましい病だと言う。仏法も考えられないなら、世間の雑事も考えられないはずで、何も思わないことこそ仏道だからだ、と。病を不利な条件ではなく、雑念から離れる好機として見直す、大胆な発想の転換である。できないことを嘆く代わりに、その状況だからこそ得られるものに目を向けさせる。困難な状況にある人を励ます、正三らしい言葉である。
この章句が説くこと
病発想の転換無心仏道困難励まし
関連する章句
-
言志四録・南洲手抄胸次清快なれば、則ち人事百艱亦阻せず。
-
葉隠・聞書第二「水増されば船高し。」ということあり。器量者(きりょうもの)又は我が得方(えかた)の事は、むつかしき事に出会うほど、一段すすむ心になるなり。迷惑がるとは、いかい違いぞとなり。
-
『驢鞍橋』卷下或人語て曰く、この前、師と同道して道を行くに、折節路次悪くすへる処有りければ、師の曰く、すへり道は気ぬけす好き物也。其方達を常住すへり道に立て置き度と也。
-
孫子・謀攻篇櫓轒轀を修め、器械を具うるに、三月にして後に成る。距闉するに、又三月にして後に已む。
-
『驢鞍橋』卷上夜話に曰く、古の祖師達にも、修行熟せるは少しと見えたり。大方小見解を是とし、経文語録を以て法語を書き、教化抔して語録等を残されたると思ふ也。なければこそ强く心を修した位を、誰でも書き残したる人なし。皆心安く隙を明けて成らぬと云ふ事を云ひ置きたる人なし。我は末世に残すならば、何とも成らぬ物ぢやと云ふ事を書付けて残すへしと也。
-
『驢鞍橋』卷下一日、去る病者に向て曰く、病は好き菩提の種也。然れとも只好く成りたいと計り思つて、只在て果すらんと也。