驢鞍橋 / 卷上
扨亦心の改まる事は、因果の道理を守りたるか好き也。喩へば人我を憎むとも、我人を恨むへからす。なにが無理に人我を憎むべし、我に此因果こそ有るらん。まだ如何なる因果か有らんと思ふて我を責むべし。萬事因果次第也と守つて、分別の仕置すべからず。扨も分別の仕置用に立たぬ物也。去年忠彌正雪の惡黨共分別さへ能くすれは、分別の儘に成ると心得、呑込んだやうに思ひ、謀叛を企て、忽ち殺されたり。なにが天道が許してこそ。總して物每分別次第に成る物に非す、皆天道次第に成る物也。好く是れを守れは大に心の改まる事也。
新字:扨亦心の改まる事は、因果の道理を守りたるか好き也。喩へば人我を憎むとも、我人を恨むへからす。なにが無理に人我を憎むべし、我に此因果こそ有るらん。まだ如何なる因果か有らんと思ふて我を責むべし。万事因果次第也と守つて、分別の仕置すべからず。扨も分別の仕置用に立たぬ物也。去年忠弥正雪の悪党共分別さへ能くすれは、分別の儘に成ると心得、呑込んだやうに思ひ、謀叛を企て、忽ち殺されたり。なにが天道が許してこそ。総して物毎分別次第に成る物に非す、皆天道次第に成る物也。好く是れを守れは大に心の改まる事也。
書き下し
扨亦心の改まる事は、因果の道理を守りたるか好き也。喩へば人我を憎むとも、我人を恨むへからす。なにが無理に人我を憎むべし、我に此因果こそ有るらん。まだ如何なる因果か有らんと思ふて我を責むべし。万事因果次第也と守つて、分別の仕置すべからず。扨も分別の仕置用に立たぬ物也。去年忠弥正雪の悪党共分別さへ能くすれは、分別の儘に成ると心得、呑込んだやうに思ひ、謀叛を企て、忽ち殺されたり。なにが天道が許してこそ。総して物毎分別次第に成る物に非す、皆天道次第に成る物也。好く是れを守れは大に心の改まる事也。
現代語訳
さてまた、心が改まるには、因果の道理を守るのがよい。たとえば、人が私を憎んでも、私は人を恨んではならない。何の理由もなく人が私を憎むだろうか。私にその因果があるのだろう。まだどんな因果があるのだろうか、と思って自分を責めなさい。万事は因果次第だと守って、分別で段取りをしてはならない。まったく分別の段取りは役に立たないものだ。去年、丸橋忠弥や由比正雪の悪党どもは、分別さえよくすれば分別のままになると心得て、呑み込んだように思い、謀反を企てて、たちまち殺された。何を、天道が許してこそである。おおよそ物事は分別次第になるものではない。みな天道次第になるものである。よくこれを守れば、大いに心が改まるのである、と。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 伯夷列伝或いは曰く、「天道は親無く、常に善人に与す」と。伯夷・叔斉の若きは、善人と謂ふ可き者か、非ざるか。仁を積み行ひを潔くすること此くの如くして餓死す。且つ七十子の徒、仲尼独り顔淵をのみ薦めて学を好むと為すも、然るに回や、屢々空しく、糟糠にだも厭かずして、卒に蚤夭す。天の善人に報施するは、其れ何如ぞや。盗跖は日々不辜を殺し、人の肉を肝し、暴戻恣睢にして、党を聚むること数千人、天下に横行するも、竟に寿を以て終はる。是れ何の徳に遵ふや。此れ其の尤も大いに彰明較著なる者なり。近世に至るが若きは、操行軌ならず、専ら忌諱を犯し、而も身を終ふるまで逸楽し、富厚にて世を累ぬるも絶えず。或いは地を択びて之を蹈み、時ありて然る後に言を出だし、行ひは径に由らず、公正に非ずんば憤りを発せず、而るに禍災に遇ふ者は、勝げて数ふ可からざるなり。余、甚だ惑ふ。儻くは所謂天道は、是か非か。
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説苑・說叢夫れ水は山に出でて海に入り、稼は田に生じて廩に藏す。聖人は生ずる所を見れば則ち歸する所を知る。
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荀子・大略篇凡そ物は乗じて来たる有り。其の出づるに乗ずる者は、是れ其の反(かへ)りなり。
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説苑・權謀孔子齊景公と坐す。左右白して曰く、「周使來りて廟燔くと言ふ」と。齊景公出でて問ひて曰く、「何の廟ぞや」と。孔子曰く、「是れ釐王の廟なり」と。景公曰く、「何を以て之を知る」と。孔子曰く、「詩に云ふ、『皇皇たる上帝、其の命忒はず』と。天の人に與するや、必ず徳有るに報ゆ。禍も亦た之の如し。夫れ釐王は文武の制を變じて玄黃の宮室を作り、輿馬奢侈にして振ふべからず。故に天其の廟に殃す。是を以て之を知る」と。景公曰く、「天何ぞ其の身に殃せずして其の廟に殃するや」と。子曰く、「天は文王の故を以てなり。若し其の身に殃せば、文王の祀、無乃ち絶えんか。故に其の廟に殃して以て其の過を章かにす」と。左右入りて報じて曰く、「周の釐王の廟なり」と。景公大いに驚き、起ちて拜して曰く、「善き哉、聖人の智、豈に大ならざらんや」と。
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風姿花伝・第七 別紙口伝一、抑、因果とて、よきあしき時のあるも、公案を尽して見るに、ただめづらしき、めづらしからぬの二つなり。おなじ上手にておなじ能を、昨日今日見れども、おもしろやと見えつる事の、今またおもしろくもなき時のあるは、昨日おもしろかりつる心ならひに、今日はめづらしからぬによりて、わるしと見るなり。その後またよき時のあるは、先にわるかりつるものをと思ふ心、まためづらしきに還りて、おもしろくなるなり。されば、この道をきはめをはりて見れば、花とて別にはなきものなり。奥義をきはめて、よろづにめづらしき理をわれと知るならでは、花はあるべからず。経にいはく、善悪不二、邪正一如とあり。本来より、よきあしきとは何をもて定むべきや。ただ時によりて用足る物をばよき物とし、用足らぬをあしき物とす。この風体の品々も、当世の衆人諸所にわたりて、その時のあまねき好みによりて取出す風体、これ用足る為の花なるべし。ここにこの風体をもてあそめば、かしこにまた余の風体を賞翫す。これ、人々心々の花なり。いづれをまこととせんや。ただ時に用ゆるをもて花と知るべし。
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『墨子』法儀昔の聖王、禹・湯・文・武は、兼ねて天下の百姓を愛し、率いて以て天を尊び鬼に事う。其の人を利すること多し、故に天、之を福し、立てて天子と為さしめ、天下の諸侯、皆な賓として之に事う。暴王、桀・紂・幽・厲は、兼ねて天下の百姓を惡み、率いて以て天を詬り鬼を侮る。其の人を賊うこと多し、故に天、之を禍し、遂に其の國家を失わしめ、身死して天下に僇と為り、後世の子孫、之を毁り、今に至るまで息まず。故に不善を為して以て禍を得る者は、桀・紂・幽・厲是れなり。人を愛し人を利して以て福を得る者は、禹・湯・文・武是れなり。人を愛し人を利して以て福を得る者は有り、人を惡み人を賊うて以て禍を得る者も亦た有り。