驢鞍橋 / 卷上
一日僧のなまけたるを見て呵して曰く、左樣に機を抜かし居て何の用に立たんや。我は匐ひ廻はる比より機を抜かさず、四歲の時同じく四歲に成るいとこ死す。我此時、さて死したがどつちへ行つたか、何と成つたぞと、ひしと疑起りたりと也。
新字:一日僧のなまけたるを見て呵して曰く、左様に機を抜かし居て何の用に立たんや。我は匐ひ廻はる比より機を抜かさず、四歳の時同じく四歳に成るいとこ死す。我此時、さて死したがどつちへ行つたか、何と成つたぞと、ひしと疑起りたりと也。
書き下し
一日僧のなまけたるを見て呵して曰く、左様に機を抜かし居て何の用に立たんや。我は匐ひ廻はる比より機を抜かさず、四歳の時同じく四歳に成るいとこ死す。我此時、さて死したがどつちへ行つたか、何と成つたぞと、ひしと疑起りたりと也。
現代語訳
ある日、僧がなまけているのを見て叱って言われた。そのように気迫を抜かしていて、何の役に立とうか。私は這い回るころから気迫を抜かさなかった。四歳のとき、同じく四歳になるいとこが死んだ。私はそのとき、さて死んだが、どっちへ行ったのか、どうなったのかと、ひしと疑いが起こったのである、と。
解説
なまける僧を叱るついでに、正三は自分の原点を語る。四歳のとき同い年のいとこが死に、死んだらどこへ行くのか、どうなるのかと、強い疑問が湧いた、と。この幼い日の問いが、生涯を貫く求道の出発点になった。人が本気で道を歩み続ける力は、子どものころに抱いた素朴で切実な問いから生まれることがある。あなたの人生を貫く問いは、いつどこで生まれたかを思い出させる条である。
この章句が説くこと
原点問い幼少期死求道疑団
関連する章句
-
『驢鞍橋』卷上一日去る若き僧の志有りて、望を休したるに向て曰く、まだいかなる大難にも逢はんずか、幾年を送らん事大儀也。乍去望を離れよくは仕為し来れり、なにとぞ次第に募らせたし、まだ末しれぬ事也。心元なし。旨少し違ひて志失せれば、娑婆に責められ、忽ち苦を受くる物也。兎角後世願ひの中を離れざるが好き也。亦やゝ有りて自ら身を叩へて曰、扨も何の用にも立たぬ物哉物哉と也。
-
『驢鞍橋』卷上一日亡者弔ひの次て、師愕然として曰く、皆人計りを弔ふ弔ふと思つて、我も頓て弔らはるへしと云ふ事を知らず。仮にも思ひよらず、只有りて俄に詰りてぎくついて死す。さても暗き物哉と也。
-
『驢鞍橋』卷上一日僧来りて問ふ。去る僧古則を提撕して死しけるか、幽霊に成りたると承はる。此道理有りや。師答て曰、悟を求めて死したらばさぞ有るべし、兎角悟を求むる修行はあぶなしと也。
-
『驢鞍橋』卷上一日去る処へ至り玉ふに、其家の代官知行処へ往くとて、途中にて少し煩ひ死しける由申来る。師聞き愕然として曰く、扨々不便千万の事哉、我をも娑婆をも実に有ると思ひ居て俄に死す。苦み計り難し、嘆痛敷事也。爰を以て思へは少し志有りて、今か今かと片腰懸けたる様にも思ひ居る者は、亦大なる徳也。其日さまざまの事有り、晩に至りて曰く、一日徒に飮食したり、闇魔王に腹を打破られんすよと也。
-
『驢鞍橋』卷上一日人来り曰く、我死せは其儘袋に入れて焼くへしと常々申付くる也。師聞て曰く、昔異国に世に知られたる兵有り、彼其方の如く遺言して其儘死骸を埋めしめたり。時の人是れを死ぬる事は得たれ共、からたを捨つる事を得すと、詩に迄作りて批判せし事有り。然る間其方も只捨てらるへし、願くは犬鳥に喰はせたるも好き也。
-
『驢鞍橋』卷上一日僧問ふて曰く、一つ凡夫にして悲みて死すると、亦何とも思はす死するとは、何れが是ならんや。師答て曰、一様には云れす、乍去大すうを云はゝ、やれ死するか悲しやと云ひて死する者は、□亦死を何共思はぬは、まだ業の甚だしき者と思はるる也。其故は□をも、成敗に逢へども何とも思はざる物也。