驢鞍橋 / 卷上
我書く處の如く、實有を離れたらば佛境界なるへし。見性の人も常住あの如く用ゐ得へからす。我も久しく强く用ふれども實は醒めぬ也。此前は强弓を引張りたるが如く、機の位有りけるが、今少し老敷成りて覺ゆ。此前は我は覺えさるか、不斷眼すわつて見えたりと人いへり。誠に過去より種を持來る人は不知、一生に勢を出し種を取る事は、我ほどのも多くは有るへからす。我も慥に種は取りたる也。八萬地獄の底に落ちたりとも、はや種はおとさぬ也。總して怨靈と成る程の機無くんば、種と成るへからすと也。
新字:我書く処の如く、実有を離れたらば仏境界なるへし。見性の人も常住あの如く用ゐ得へからす。我も久しく強く用ふれども実は醒めぬ也。此前は強弓を引張りたるが如く、機の位有りけるが、今少し老敷成りて覚ゆ。此前は我は覚えさるか、不断眼すわつて見えたりと人いへり。誠に過去より種を持来る人は不知、一生に勢を出し種を取る事は、我ほどのも多くは有るへからす。我も慥に種は取りたる也。八万地獄の底に落ちたりとも、はや種はおとさぬ也。総して怨霊と成る程の機無くんば、種と成るへからすと也。
書き下し
我書く処の如く、実有を離れたらば仏境界なるへし。見性の人も常住あの如く用ゐ得へからす。我も久しく强く用ふれども実は醒めぬ也。此前は强弓を引張りたるが如く、機の位有りけるが、今少し老敷成りて覚ゆ。此前は我は覚えさるか、不断眼すわつて見えたりと人いへり。誠に過去より種を持来る人は不知、一生に勢を出し種を取る事は、我ほどのも多くは有るへからす。我も慥に種は取りたる也。八万地獄の底に落ちたりとも、はや種はおとさぬ也。総して怨霊と成る程の機無くんば、種と成るへからすと也。
現代語訳
私が書いたとおり、実有を離れたなら仏の境界だろう。見性した人でも、いつもあのようには用いられないだろう。私も長く強く用いているが、実有の思いは醒めない。以前は強弓を引き張ったような気迫の位があったが、今は少し年寄りらしくなったように感じる。以前は、私は気づかなかったが、いつも目が据わって見えたと人は言った。本当に、過去から種を持って生まれてきた人は知らないが、一生のうちに勢いを出して種を取ることにかけては、私ほどの者は多くはいないだろう。私も確かに種は取った。八万地獄の底に落ちたとしても、もう種は落とさない。おおよそ怨霊になるほどの気迫がなければ、種にはならない、と。
解説

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