驢鞍橋 / 卷上
一日示して曰く、凡夫元より物に碍らずして、ぬんとしたる如來心有れども、六賊煩惱に責め失はれて居る也。然る間二王心を以て六賊煩惱を防ぐときんば、自ら本心はそだつ也。譬へば下馬には棒つき有り、內には廣間番、段々の番所ありて、堅く守護し奉れば、君自ら大平に在すが如し。二王は是れ如來の足輕坐禪也。先づ此足輕坐禪をよう仕習ひめされよ。扨亦坐敷には十六善神。四天王、段々の本心の守護神有り、亦十二神は頭に十二支を頂き給ふ、是れ十二時の番衆也。如是十二時中强く守るときんば、煩惱消滅して、本尊自ら堅固也。此機を受けすして煩惱に勝つ事有るべからす。此佛像の道理計りは是非に御公儀へ申上け度く思ふ也。云はるゝ物ならは幽靈に成りてなりとも云ひ度く思ふと也。
新字:一日示して曰く、凡夫元より物に碍らずして、ぬんとしたる如来心有れども、六賊煩悩に責め失はれて居る也。然る間二王心を以て六賊煩悩を防ぐときんば、自ら本心はそだつ也。譬へば下馬には棒つき有り、内には広間番、段々の番所ありて、堅く守護し奉れば、君自ら大平に在すが如し。二王は是れ如来の足軽坐禅也。先づ此足軽坐禅をよう仕習ひめされよ。扨亦坐敷には十六善神。四天王、段々の本心の守護神有り、亦十二神は頭に十二支を頂き給ふ、是れ十二時の番衆也。如是十二時中强く守るときんば、煩悩消滅して、本尊自ら堅固也。此機を受けすして煩悩に勝つ事有るべからす。此仏像の道理計りは是非に御公儀へ申上け度く思ふ也。云はるゝ物ならは幽霊に成りてなりとも云ひ度く思ふと也。
書き下し
一日示して曰く、凡夫元より物に碍らずして、ぬんとしたる如来心有れども、六賊煩悩に責め失はれて居る也。然る間二王心を以て六賊煩悩を防ぐときんば、自ら本心はそだつ也。譬へば下馬には棒つき有り、内には広間番、段々の番所ありて、堅く守護し奉れば、君自ら大平に在すが如し。二王は是れ如来の足軽坐禅也。先づ此足軽坐禅をよう仕習ひめされよ。扨亦坐敷には十六善神。四天王、段々の本心の守護神有り、亦十二神は頭に十二支を頂き給ふ、是れ十二時の番衆也。如是十二時中强く守るときんば、煩悩消滅して、本尊自ら堅固也。此機を受けすして煩悩に勝つ事有るべからす。此仏像の道理計りは是非に御公儀へ申上け度く思ふ也。云はるゝ物ならは幽霊に成りてなりとも云ひ度く思ふと也。
現代語訳
ある日示して言われた。凡夫にも、もともと物に碍げられず、ゆったりとした如来の心があるけれども、六賊煩悩に責められて失っているのである。だから仁王の心によって六賊煩悩を防げば、おのずから本心は育つ。たとえば、下馬先には棒突きがおり、内には広間番、段々の番所があって、堅く守護申し上げれば、主君はおのずから太平におられるようなものだ。仁王はこれ如来の足軽坐禅である。まずこの足軽坐禅をよく習いなさい。さてまた座敷には十六善神、四天王、段々の本心の守護神がおり、また十二神は頭に十二支を戴いておられる。これは十二の時刻の番衆である。このように一日中強く守れば、煩悩は消滅して、本尊はおのずから堅固である。この気迫を受けずに煩悩に勝つことはありえない。この仏像の道理だけは、ぜひとも公儀に申し上げたいと思う。言えるものなら、幽霊になってでも言いたいと思う、と。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孟子・離婁章句上孟子曰く、「離婁の明、公輸子の巧も、規矩を以てせざれば、方員を成すこと能わず。師曠の聰も、六律を以てせざれば、五音を正すこと能わず。堯舜の道も、仁政を以てせざれば、天下を平治すること能わず。今、仁心仁聞有りて、而も民其の澤を被らず、後世に法る可からざる者は、先王の道を行わざればなり。故に曰く、『徒善は以て政を為すに足らず、徒法は以て自ら行わるること能わず。』詩に云う、『愆らず忘れず、舊章に率い由る。』先王の法に遵いて過つ者は、未だ之れ有らざるなり。聖人既に目の力を竭くし、之に繼に規矩準繩を以てす。以て方員平直を為すこと、用うるに勝う可からざるなり。既に耳力を竭くし、之に繼ぐに六律を以てす。五音を正すこと、用うるに勝う可からざるなり。既に心思を竭くし、之に繼ぐに人に忍びざるの政をを以てす。而うして仁天下を覆う。故に曰く、『高きを為すには、必ず丘陵に因り、下きを為すには、必ず川澤に因る。』政を為すに、先王の道に因らずんば、智と謂う可けんや。是を以て惟だ仁者のみ宜しく高位に在るべし。不仁にして高位に在るは、是れ其の惡を衆に播するなり。上に道揆無く、下に法守無く、朝は道を信ぜず、工は度を信ぜず、君子は義を犯し、小人は刑を犯して、國の存する所の者は幸いなり。故に曰く、『城郭完からず、兵甲多からざるは、國の災いに非ざるなり。田野辟けず、貨財聚まらざるは、國の害に非ざるなり。』上、禮無く、下、學無ければ、賊民興り、喪ぶること日無けん。詩に曰く、『天の方に蹶(くつがえす)えさんとする、然く泄泄すること無かれ。』泄泄とは、猶ほ沓沓のごときなり。君に事えて義無く、進退禮無く、言えば則ち先王の道を非る者は、猶ほ沓沓のごときなり。故に曰く、『難きを君に責む、之を恭と謂う。善を陳べ邪を閉づる、之を敬と謂う。吾が君能わずとす、之を賊と謂う。』」
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孫子・勢篇勢に任ずる者は、其の人を戦わしむるや、木石を転ずるが如し。木石の性は、安ければ則ち静かに、危ければ則ち動き、方なれば則ち止まり、円なれば則ち行く。
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『韓非子』定法第四十三君術無ければ則ち上に弊われ、臣法無ければ則ち下に亂る。此れ一も無かる可からず、皆な帝王の具なり。
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孫子・始計篇法とは、曲制・官道・主用なり。
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李衛公問対・卷上制有るの兵は、能無きの将なるも、敗る可からざるなり。制無きの兵は、能有るの将なるも、勝つ可からざるなり。
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『墨子』尚同中故に古者、聖王は唯だ壹に尚同を以て正長と為す。是れ上下、請謁して通を為す。上に隠事遺利有れば、下、得て之を利し、下に蓄怨積害有れば、上、得て之を除く。是を以て數千萬里の外に善を為す者有れば、其の室人未だ徧く知らず、鄉里未だ徧く聞かざるに、天子、得て之を賞す。數千萬里の外に不善を為す者有れば、其の室人未だ徧く知らず、郷里未だ徧く聞かざるに、天子、得て之を罰す。是を以て天下の人を舉げて皆な恐懼振動惕慄して、敢えて淫暴を為さず、曰く、「天子の視聴や神なり」と。先王の言に曰く、「神に非ざるなり。夫れ唯だ能く人の耳目をして己が視聴を助けしめ、人の吻をして己が言談を助けしめ、人の心をして己が思慮を助けしめ、人の股肱をして己が動作を助けしむればなり」と。之を視聴するを助くる者衆ければ、則ち其の聞見する所の者は逺し。之を言談するを助くる者衆ければ、則ち其の徳音の撫循する所の者は博し。之を思慮するを助くる者衆ければ、則ち其の謀慮は速やかに得らる。之を動作するを助くる者衆ければ、則ち其の事を舉ぐること速やかに成る。