驢鞍橋 / 卷上
一日去る武士に示して曰く、侍の役儀なる間、果し眼坐禪を仕習はるべし。我も樣々修せし中に、餘り我執盡ざる間□かつたいにも成りて見て修せし也。然れども是れでは今の用に不立、使はれぬと覺えて、果し眼坐禪に用習ふて、慥に禪定の機を知る也。然る間各々も六具をしめ、大小をも十文字に指働かし、八幡と云ふてねぢ廻はし、睨付けて坐禪を仕習ひめされよ。古具足有らば、御坊主達にも着せて坐禪を仕習せたし。何とだらついた坊主の心なりとも、六具鎖大小十文字に指したらば、其儘心は替るへしと也。時に一人曰く、先日も力を出す心と御意有りしに依つて、死の字を目の付け處に書付、急度睨付けて守る樣に仕る。師曰、好し好し勢を出しめされよ、頓て坐禪の機を受けらるへしと也。
新字:一日去る武士に示して曰く、侍の役儀なる間、果し眼坐禅を仕習はるべし。我も様々修せし中に、余り我執尽ざる間□かつたいにも成りて見て修せし也。然れども是れでは今の用に不立、使はれぬと覚えて、果し眼坐禅に用習ふて、慥に禅定の機を知る也。然る間各々も六具をしめ、大小をも十文字に指働かし、八幡と云ふてねぢ廻はし、睨付けて坐禅を仕習ひめされよ。古具足有らば、御坊主達にも着せて坐禅を仕習せたし。何とだらついた坊主の心なりとも、六具鎖大小十文字に指したらば、其儘心は替るへしと也。時に一人曰く、先日も力を出す心と御意有りしに依つて、死の字を目の付け処に書付、急度睨付けて守る様に仕る。師曰、好し好し勢を出しめされよ、頓て坐禅の機を受けらるへしと也。
書き下し
一日去る武士に示して曰く、侍の役儀なる間、果し眼坐禅を仕習はるべし。我も様々修せし中に、余り我執尽ざる間□かつたいにも成りて見て修せし也。然れども是れでは今の用に不立、使はれぬと覚えて、果し眼坐禅に用習ふて、慥に禅定の機を知る也。然る間各々も六具をしめ、大小をも十文字に指働かし、八幡と云ふてねぢ廻はし、睨付けて坐禅を仕習ひめされよ。古具足有らば、御坊主達にも着せて坐禅を仕習せたし。何とだらついた坊主の心なりとも、六具鎖大小十文字に指したらば、其儘心は替るへしと也。時に一人曰く、先日も力を出す心と御意有りしに依つて、死の字を目の付け処に書付、急度睨付けて守る様に仕る。師曰、好し好し勢を出しめされよ、頓て坐禅の機を受けらるへしと也。
現代語訳
ある日、ある武士に示して言われた。侍の役目なのだから、果たし眼坐禅を習いなさい。私もさまざまに修めた中で、あまりに我執が尽きないので、□かつたい(重い病者)にもなってみて修めた。けれども、これでは今の役に立たない、使えないと思って、果たし眼坐禅を用い習って、確かに禅定の気迫を知ったのである。だから皆さんも、甲冑をつけ、大小の刀を十文字に差して働かせ、八幡と言ってねじ回し、睨みつけて坐禅を習いなさい。古い具足があれば、御坊主たちにも着せて坐禅を習わせたい。どれほどだらけた坊主の心でも、甲冑をつけ、大小を十文字に差したら、そのまま心は変わるだろう、と。そのとき一人が言った。先日も、力を出す心とおっしゃったので、死の字を目のつけどころに書きつけて、きっと睨みつけて守るようにしております。師は言われた。よしよし、勢いを出しなさい。やがて坐禅の気迫を受けられるだろう、と。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『驢鞍橋』卷下一日、沈坐禅を作す者に示して云ふ、詮なきことを作さんより、只死ぬことをし習ひめされよ、別のことは入らぬ也。無理死に死習つて、夢中ともに抜けぬほどにすべし。扨て又只今打腐るゝ腐物を秘蔵して居ること哉。熱い寒い、痛い痒い、一つとして苦ならずと云ふことなし。扨てもいやな苦体哉と、きつと睨付けて、平生境界と張合て居る念を起すべし。我上にはさも見えまいが、我と機を着て見れば、奥牙を咬合せ、眼をすゑてきつと睨着けて居る機に成て常住ある也。またよう若き時から如是有りし也。奥牙と云はねば云はれぬに仍て云ふ、奥牙ではなし、奥牙と前歯との間の歯也。之をきつと食合せ、眼をすゑ、じりじりと睨付けて居る機也。爰を以て果眼坐禅と云ふ也。又自らきつとねぢ廻はしたるまねをなして曰く、八幡と云つてかう懸つた時、爰にすわつた機か有る、之を云ふ也。この機を用ひば、諸念自ら碍るべからず。我坐禅は此の如し。
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『驢鞍橋』卷上一日去る侍に示して曰く、始めより忙敷中にて坐禅を仕習ふたるが好き也。殊に侍は鯨波の中に用ふる坐禅を仕習はで不叶、鉄鉋をばたばたと打立て、互に鑓先を揃へて、わつわつと云ふて乱れ逢ふ中にて、急度用ひて爰で使ふ事也。なにと静なる処を好む坐禅が、加様の処にて使はれんや。総して侍はなにと好き仏法なりと云ふとも、ときの声の内にて用に立たぬ事ならは、捨たがよき也。然る間常住二王心を守習ふ外なし。扨初心の者二王心の外にて、万事の上に使ふ事成るへからず。
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『驢鞍橋』卷上一日若き侍両人来り、修行の用心を問ふ。師彼に問て曰く、其方達は何役をめさるゝや、時に一人広間番を仕ると云ふ。師示して曰、狼藉者に於ては縦ひ樊噲張良也とも、八幡通すましと急度ねぢまわして番を作すべし。是れ則ち坐禅也。別に用心有るべからず。亦一人は供番也と云ふ。師示して曰、何者にてもあれうろたへ者、又は逆心の者出来らば、忽ち無手と引組んて指違へんと、急度死を窮め、眼をすゑて供を作すべし。是れ則ち坐禅也。機を抜かして供を成さば、用に立つべからずと也。
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『驢鞍橋』卷上一日示して曰く、修行と云ふは勇猛の機一つ也。此心無くんば何たる行業も何たる善心も、皆徒事也。如来坐禅と二王坐禅と、あまり隔てあるべからず。面に現はしたると内に用ゐたるの替りなるべし。勇猛の機なくして、なにとして凡夫心にて死する時少しも使はれんや。亦なにを以て一切に勝つへきや。我は此機を頓て修し出したる間、人毎に頓て移らんずと思へとも、一人でも受けたる者なし。然れば是れ迄も修し付け難く、移し難き物と見えたり。時に去る者問、如何様にして此機を修し出すべきや。師示日、眼をすゑて死習ふ外なし。此糞袋をかたきにしてひた責めに責むべし。我が書く処の捨身の位、自己を守るの位をよく見て修せば、必す此機自然に起るへしと也。
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『驢鞍橋』卷上一日武士来て法要を問ふ。師示して曰く、後世を願ふと云ふは、此糞袋を何とも思はず打捨つる事也。是れを仕習ふより別の仏法を知らす、我は若き時より是れ計りを仕習ひし也。先づ千騎万騎抜きそろへたる備の中に超入り、胴腹を撞きぬかれて、死に死にして死習ひしに、是れは頓て仕習ひて超入られたり。亦谷底に大蛇口を張り居るに飛込み、角に取着き居習ふに、是れも頓て仕習ひて角に取着き居られたり。爰になにもなき坿の下ヘ、只落ちて死んで見るに、中中張合無くして飛ばれさる也。然れとも此比になつて少し飛ばるゝかと思ふ也。各々もなにとも思はず、自由に捨らるゝ程さまざま工みて、此身を捨習はるべし。なる程强き心を用ゐすして叶ふべからずと也。
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『驢鞍橋』卷上夜話の次で僧問ふ、坐禅の時は古則をも不念、念仏をも申さず、只ぬんとしたる機を用ゐたるが好きなりや。師曰、中々只ぬんと用ふべし。亦機を付けて為さば古則陀羅尼念仏も一つ事なり、其内に機の沈まぬやうに用ふる計り也。扨急度機の活きるやうにせんと思はば、達磨の面に眼を着けて、睨み坐禅を作すべしと也。