驢鞍橋 / 卷上
師亦曰、其方の性はあぶない性也。人に褒られて頓て鼻を長くし、角をはやしてかけ廻はる性なり。でも其方を褒めぬ人有るへからず。我樣にぼつ下して、惡く云ふ者有るへからず。我に逢ひめされたる功德には、搆へて人に損はれめさるゝなと、是れを授け申すぞと也。晩に至て衆に語て曰、晝の者は理過ぎたる者に非すや、あのやうな格は佛法に入り難し。云へば云ふ程理が長ずる也。あれは棒でなけれは成らぬなり。云ふ程の事を扣き詰め扣き詰めせば、少しは好く成るべし。我師家を立つるならば、接し樣もあれどもと也。時に一僧曰、某甲抔はあのやうな病の多き者には出合ふ事もいや也。師聞て曰、我は成程六け敷者が能き也。正三を詰める程の人に逢ひたけれども、無仕合にて今迄合はぬ也。あはれ我をせりつむる人ほしゝと也。
新字:師亦曰、其方の性はあぶない性也。人に褒られて頓て鼻を長くし、角をはやしてかけ廻はる性なり。でも其方を褒めぬ人有るへからず。我様にぼつ下して、悪く云ふ者有るへからず。我に逢ひめされたる功徳には、搆へて人に損はれめさるゝなと、是れを授け申すぞと也。晩に至て衆に語て曰、昼の者は理過ぎたる者に非すや、あのやうな格は仏法に入り難し。云へば云ふ程理が長ずる也。あれは棒でなけれは成らぬなり。云ふ程の事を扣き詰め扣き詰めせば、少しは好く成るべし。我師家を立つるならば、接し様もあれどもと也。時に一僧曰、某甲抔はあのやうな病の多き者には出合ふ事もいや也。師聞て曰、我は成程六け敷者が能き也。正三を詰める程の人に逢ひたけれども、無仕合にて今迄合はぬ也。あはれ我をせりつむる人ほしゝと也。
書き下し
師亦曰、其方の性はあぶない性也。人に褒られて頓て鼻を長くし、角をはやしてかけ廻はる性なり。でも其方を褒めぬ人有るへからず。我様にぼつ下して、悪く云ふ者有るへからず。我に逢ひめされたる功徳には、搆へて人に損はれめさるゝなと、是れを授け申すぞと也。晩に至て衆に語て曰、昼の者は理過ぎたる者に非すや、あのやうな格は仏法に入り難し。云へば云ふ程理が長ずる也。あれは棒でなけれは成らぬなり。云ふ程の事を扣き詰め扣き詰めせば、少しは好く成るべし。我師家を立つるならば、接し様もあれどもと也。時に一僧曰、某甲抔はあのやうな病の多き者には出合ふ事もいや也。師聞て曰、我は成程六け敷者が能き也。正三を詰める程の人に逢ひたけれども、無仕合にて今迄合はぬ也。あはれ我をせりつむる人ほしゝと也。
現代語訳
師はまた言われた。あなたの性分は危ない性分である。人に褒められると、すぐに鼻を高くし、角を生やして駆け回る性分だ。誰でもあなたを褒めない人はいないだろう。私のようにこき下ろして悪く言う者はいないだろう。私に会われた功徳には、決して人に損なわれないように、ということを授けよう、と言われた。晩になって衆に語って言われた。昼の者は理屈が過ぎた者ではないか。あのような者は仏法に入りにくい。言えば言うほど理屈が長くなる。あれは棒でなければだめだ。言うほどのことを叩き詰め、叩き詰めすれば、少しは良くなるだろう。私が師家を立てるのなら、接し方もあるのだが、と。そのとき一人の僧が言った。私などは、あのような病の多い者には出会うのも嫌です。師は聞いて言われた。私はなるほど、難しい者がよいのだ。正三を詰めるほどの人に会いたいのだが、不運にも今まで会わない。ああ、私を追い詰める人がほしい、と。
解説
この章句が説くこと
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『正法眼蔵随聞記』巻四古人云く、奢て上賢にひとしからんと思ふことなかれ、賤ふして下賤にひとしからんと思ふことなかれと、云こゝろは、共に慢心なり、高ふしても下らんことを忘るゝことなかれ、安ふしても危からんことを忘るゝことなかれ、今日存するとも明日もと思ふことなかれ、死の至てちかくあやふきこと脚下にあり、
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『正法眼蔵随聞記』巻四示して云はく、愚癡なる人は其の詮なきことを思ひ云ふなり、此につかはるゝ老尼公ありけるが、当時いやしげに在るをはづる顏にて、ともすれば人に向ては、昔しは上臘にてありしよしを語る、たとひ而今の人にさもありと思はれたりとも、なんの用とも覚えぬ、甚だ無用なりとおぼゆるなり、皆人の思はくは此の心あるかと覚ゆるなり、道心の無きほども知られたり、是れらの心を改めて、少し人には似るべきなり、亦有る入道の、極めて無道心なるあり、去り難き知音にてある故に、道心おこらんこと仏神に祈誓せよと云はんと思ふ、定て彼れ腹立して中をたがふことあらん、然あれども道心を発さヾらんには得意にてもたがひに詮なかるべし、
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徒然草・第167段一道に携はる人、あらぬ道の席に臨みて、「あはれ我が道ならましかば、かくよそに見侍らじものを。」といひ、心にも思へる事、常のことなれど、世にわろく覚ゆるなり。知らぬ道の羨ましく覚えば、「あな羨まし、などか習はざりけむ。」と言ひてありなむ。我が智を取り出でて人に争ふは、角あるものの角をかたぶけ、牙あるものの牙を噛み出す類なり。人としては善にほこらず、物と争はざるを徳とす。他に勝る事のあるは大きなる失なり。品の高さにても、才芸のすぐれたるにても、先祖の誉にても、人にまされりと思へる人は、たとひ詞に出でてこそいはねども、内心に若干の科あり。謹みてこれを忘るべし。をこにも見え、人にもいひけたれ、禍ひをも招くは、たゞこの慢心なり。一道にもまことに長じぬる人は、みづから明らかにその非を知るゆゑに、志常に満たずして、つひに物に誇ることなし。
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尚書・西伯戡黎我が生、命は天に在るに非ずや。
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尚書・周官寵に居りて危うきを思い、畏れざる罔く、畏れざれば畏るるに入る。
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葉隠・聞書第十一人のたけは、九分十分(くぶじゅうぶ)と申し候えども、何段(なんだん)ほどこれあるものに候や、無量(むりょう)のものなり。これ迄(まで)と思い一つ所に滞(とどこお)り自慢などする事、なかなか卑(いや)しき位(くらい)なり。歌に、いずくにも心とまらば住みかえよ ながらえば又もとの古里(ふるさと)、かくの如くに、又住みかえ住みかえせずしては、人並にもなるまじく候。我がたけ少し上り候時ならでは、無量事(むりょうごと)は存ぜぬものなりと。