驢鞍橋 / 卷上
一日示して曰く、佛道修行と云ふは、二王不動の大堅固の機を受けて修すること、一つ也。此機を以て身心を責滅すより外、別に佛法を知らず。若し我法に入らんと思ふ人は、機をひつ立、眼をすゑ、二王不動惡魔降伏の形像の機を受け、二王心を守て惡業煩惱を滅すべし。古來より此佛像の沙汰したる人聞ねども、如何にしても我胸に相應して用ゐて、萬事に自由也。佛は勇猛精進と諸經に多く說き給ふと見えたり。此機を受けずして煩惱に勝つと不可有。第一に佛像の機を受くると云ふことを能く可知。無精にして此機移るべからす、專ら佛像に眼を著けて二六時中金剛心を守るべしと也。
新字:一日示して曰く、仏道修行と云ふは、二王不動の大堅固の機を受けて修すること、一つ也。此機を以て身心を責滅すより外、別に仏法を知らず。若し我法に入らんと思ふ人は、機をひつ立、眼をすゑ、二王不動悪魔降伏の形像の機を受け、二王心を守て悪業煩悩を滅すべし。古来より此仏像の沙汰したる人聞ねども、如何にしても我胸に相応して用ゐて、万事に自由也。仏は勇猛精進と諸経に多く説き給ふと見えたり。此機を受けずして煩悩に勝つと不可有。第一に仏像の機を受くると云ふことを能く可知。無精にして此機移るべからす、専ら仏像に眼を著けて二六時中金剛心を守るべしと也。
書き下し
一日示して曰く、仏道修行と云ふは、二王不動の大堅固の機を受けて修すること、一つ也。此機を以て身心を責滅すより外、別に仏法を知らず。若し我法に入らんと思ふ人は、機をひつ立、眼をすゑ、二王不動悪魔降伏の形像の機を受け、二王心を守て悪業煩悩を滅すべし。古来より此仏像の沙汰したる人聞ねども、如何にしても我胸に相応して用ゐて、万事に自由也。仏は勇猛精進と諸経に多く説き給ふと見えたり。此機を受けずして煩悩に勝つと不可有。第一に仏像の機を受くると云ふことを能く可知。無精にして此機移るべからす、専ら仏像に眼を著けて二六時中金剛心を守るべしと也。
現代語訳
ある日示して言われた。仏道修行というのは、仁王や不動の大いに堅固な気迫を受けて修すること、ただ一つである。この気迫で身心を責め滅ぼすほかに、別の仏法を私は知らない。もし私の法に入ろうと思う人は、気迫を奮い立て、目を据え、仁王不動が悪魔を降伏させる姿の気迫を受け、仁王の心を守って悪業煩悩を滅すべきである。昔からこの仏像のことを言った人を聞かないが、どうしても私の胸に相応していて、用いると万事に自由である。仏は勇猛精進を多くの経典で説かれている。この気迫を受けずに煩悩に勝つことはありえない。第一に仏像の気迫を受けるということをよく知るべきである。精を出さなければこの気迫は移ってこない。もっぱら仏像に目をつけて、一日中金剛の心を守るべきである、と。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
老子・第20章学を絶てば憂い無し。唯と阿と、相去ること幾何ぞ。善と悪と、相去ること若何。人の畏るる所は、畏れざるべからず。荒としてそれ未だ央きざるかな。衆人は熙熙として、太牢を享くるが如く、春に台に登るが如し。我れ独り泊としてそれ未だ兆さず、嬰児の未だ孩わざるが如し。儽儽として帰する所無きが若し。衆人は皆な余り有るに、我れ独り遺れたるが若し。我れは愚人の心なるかな、沌沌たり。俗人は昭昭たるに、我れ独り昏昏たり。俗人は察察たるに、我れ独り悶悶たり。澹としてそれ海の若く、飂として止まる所無きが若し。衆人は皆な以うる有るに、我れ独り頑にして鄙に似たり。我れ独り人に異なりて、母に食わるるを貴ぶ。
-
『夜船閑話』序妄想の功果つもらば、一身の元気いつしか腰脚足心の間に充足して、臍下瓠然たること、いまだ篠打ちせざる鞠の如けん。恁麼に単々に妄想し将ち去て、五日七日乃至二三七日を経たらむに、従前の五積六聚、気虚労役等の諸症底を払て平癒せずんば、老僧が頭を切り持ち去れ。
-
『格言聯璧』惠吉類・終日善言を說くは一件を做すに如かず終日善言を說くは、一件を做し了るに如かず。 終身善事を行ふも、須らく一件を錯り了るを防ぐべし。 物力艱難、飯を吃し衣を穿つを知るを要す、談何ぞ容易ならん。 光陰迅速、即使ひ書を讀み善を行ふとも、能く幾多か有らん。
-
『驢鞍橋』卷上一日示して曰く、今時の人仏法は悟らねば用に立たぬと思ふ也。其儀に非す。仏法と云ふは、只今の我心をよう用ひて、今用に立つる事なり。成程心を强う用ゆるを修行とす、心の强うなるほど次第に使はるる也。大に勤むれば大に徳有り、少し勤むれば少しの徳有り、譬へば万石取には及はねども、千石取らば百石取には勝るが如し。分々に徳を得る事也。扨亦悟入すれば、仏境界なりと思へり。そでも無き事也。縦ひ見解有るとも自由に使はるべからず。仏境界と云ふは各別の事也。只悟を求めずとも、修し行じて徳に至るべしと也。
-
『後世への最大遺物』第二回・来年また会うときまでにまことに私の言葉が錯雑しておって、かつ時間も少くございますから、私の考えをことごとく述べることはできない。しかしながら私は今日これで御免をこうむって山を降ろうと思います。それで来年またふたたびどこかでお目にかかるときまでには、少くとも幾何の遺物を貯えておきたい。この一年の後にわれわれがふたたび会しますときには、われわれが何か遺しておって、今年は後世のためにこれだけの金を溜めたというのも結構、今年は後世のためにこれだけの事業をなしたというのも結構、また私の思想を雑誌の一論文に書いて遺したというのも結構、しかし、それよりもいっそう良いのは、後世のために私は弱いものを助けてやった、後世のために私はこれだけの艱難に打ち勝ってみた、後世のために私はこれだけの品性を修練してみた、後世のために私はこれだけの義侠心を実行してみた、後世のために私はこれだけの情実に勝ってみた、という話を持ってふたたびここに集まりたいと考えます。
-
『酔古堂剣掃』集素・麈尾の閒談は畫餅の如し身外に身有り、麈尾を捉りて口を矢ひて閒談するは、真に畫餅の如し。 竅中に竅有り、蒲團に向かひて心を回らし究竟するは、方に是れ力田なり。