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驢鞍橋 / 卷上

辰三月日去る人來て曰く、拙者檀那御物語を承り、彌心得能く候へとも、家老とも無道心にてさも無き事に人を殺害仕る。師聞て曰、さては左有りけるか、如何に主人法にすきめされても、下々治らず、少しの事に人を殺す樣にては、我出入する甲斐なし。左樣ならば向後ぶつゝと出入すべからずとをもしやれ。總して佛法を聞きては、ふつゝと人を殺さぬ事と心得めされよ。其故はいかなる谷人にても、あれ助け度とさへ思へば、殺したる同前に法度にも成り、迷惑をもさせて助けやうは如何程も有る也。然れどもだゝい殺しずきぢやに依つて助けられぬと云ふては、少しの事にも殺す也。扨々無道心なる事哉。如何なる事にも人を一人殺すと云ふは大分の事也。

新字:辰三月日去る人来て曰く、拙者檀那御物語を承り、弥心得能く候へとも、家老とも無道心にてさも無き事に人を殺害仕る。師聞て曰、さては左有りけるか、如何に主人法にすきめされても、下々治らず、少しの事に人を殺す様にては、我出入する甲斐なし。左様ならば向後ぶつゝと出入すべからずとをもしやれ。総して仏法を聞きては、ふつゝと人を殺さぬ事と心得めされよ。其故はいかなる谷人にても、あれ助け度とさへ思へば、殺したる同前に法度にも成り、迷惑をもさせて助けやうは如何程も有る也。然れどもだゝい殺しずきぢやに依つて助けられぬと云ふては、少しの事にも殺す也。扨々無道心なる事哉。如何なる事にも人を一人殺すと云ふは大分の事也。

書き下し

辰三月日去る人来て曰く、拙者檀那御物語を承り、弥心得能く候へとも、家老とも無道心にてさも無き事に人を殺害仕る。師聞て曰、さては左有りけるか、如何に主人法にすきめされても、下々治らず、少しの事に人を殺す様にては、我出入する甲斐なし。左様ならば向後ぶつゝと出入すべからずとをもしやれ。総して仏法を聞きては、ふつゝと人を殺さぬ事と心得めされよ。其故はいかなる谷人にても、あれ助け度とさへ思へば、殺したる同前に法度にも成り、迷惑をもさせて助けやうは如何程も有る也。然れどもだゝい殺しずきぢやに依つて助けられぬと云ふては、少しの事にも殺す也。扨々無道心なる事哉。如何なる事にも人を一人殺すと云ふは大分の事也。

現代語訳

辰の年の三月、ある人が来て言った。私の檀那(主君)はお話をうかがって、いよいよよく心得ておられますが、家老たちは道心がなく、ささいなことで人を殺しております。師は聞いて言われた。さてはそうであったか。どれほど主人が法を好まれても、下々が治まらず、少しのことで人を殺すようでは、私が出入りする甲斐がない。それならば、今後はすっぱりと出入りしない、と申し上げなさい。おおよそ仏法を聞いたなら、決して人を殺さないことと心得なさい。そのわけは、どんな罪人であっても、あれを助けたいとさえ思えば、殺したのと同じくらいの処罰にもし、困らせもして、助けようはいくらでもあるからだ。けれども、もともと殺しが好きだから、助けられないと言っては、少しのことでも殺すのである。なんとも道心のないことだ。どんなことであれ、人を一人殺すというのは重大なことである、と。

解説

主君は仏法を好むが、家老たちがささいなことで人を処刑していると聞き、正三は、それなら自分が出入りする意味はないと怒る。どんな罪人でも、助けたいと思えば方法はいくらでもある、殺しが好きだから助けられないと言うのだ、と。武家の刑罰が当然だった時代に、人を一人殺すことの重さを正面から説いている。組織で人を切り捨てる判断をするとき、本当に他の道はなかったのかを問い直させる、重い一条である。

この章句が説くこと

殺生刑罰慈悲家老統治人命

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