驢鞍橋 / 卷下
一日、去る人來り語て曰く、或る大名、某甲に仰せらるゝは、佛法は五倫の道欠ける間、衆生斷えんと思ふ故に、我佛法を嫌て儒を守る也と。師聞て曰く、なるほど初心な心哉。眞の道理は、其方へ心得めされまし。只坐興を以ての挨拶を敎へ申すず。又仰せあらば、扨ては御內に召仕るゝ者に、男にも女にも、夫婦者ならぬは、一人も候はじ、定て儒道者の道に欠けたる義は遊されまじと云はるべし。又衆生斷するとの御嘆は、乍恐蚯蚓衆か大地を食ひつくしたれば、何をか食せんと悲むと云ふ物語に似たりとおもしやれと云つて笑ひ給へり。
新字:一日、去る人来り語て曰く、或る大名、某甲に仰せらるゝは、仏法は五倫の道欠ける間、衆生断えんと思ふ故に、我仏法を嫌て儒を守る也と。師聞て曰く、なるほど初心な心哉。真の道理は、其方へ心得めされまし。只坐興を以ての挨拶を教へ申すず。又仰せあらば、扨ては御内に召仕るゝ者に、男にも女にも、夫婦者ならぬは、一人も候はじ、定て儒道者の道に欠けたる義は遊されまじと云はるべし。又衆生断するとの御嘆は、乍恐蚯蚓衆か大地を食ひつくしたれば、何をか食せんと悲むと云ふ物語に似たりとおもしやれと云つて笑ひ給へり。
書き下し
一日、去る人来り語て曰く、或る大名、某甲に仰せらるゝは、仏法は五倫の道欠ける間、衆生断えんと思ふ故に、我仏法を嫌て儒を守る也と。師聞て曰く、なるほど初心な心哉。真の道理は、其方へ心得めされまし。只坐興を以ての挨拶を教へ申すず。又仰せあらば、扨ては御内に召仕るゝ者に、男にも女にも、夫婦者ならぬは、一人も候はじ、定て儒道者の道に欠けたる義は遊されまじと云はるべし。又衆生断するとの御嘆は、乍恐蚯蚓衆か大地を食ひつくしたれば、何をか食せんと悲むと云ふ物語に似たりとおもしやれと云つて笑ひ給へり。
現代語訳
ある日、ある人が来て語って言った。ある大名が私に仰せられるには、仏法は五倫の道が欠けるので、衆生が絶えてしまうだろうと思うゆえに、私は仏法を嫌って儒を守るのだ、と。師は聞いて言われた。なるほど、初心な心だな。本当の道理は、あなたが心得ておかれるがよい。ただ座興としての挨拶を教えて差し上げよう。また仰せられたら、それでは御内に召し使われている者に、男にも女にも、夫婦者でない者は一人もおりますまい、きっと儒道者の道に欠けたことはなさいますまい、と言われるがよい。また、衆生が絶えるとのお嘆きは、恐れながら、みみずたちが、大地を食い尽くしたら何を食べようかと悲しむという物語に似ていると、おっしゃいなさい、と言ってお笑いになった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『驢鞍橋』卷下或人曰く、師この前、爰許に御登りの時、某問ふ、当地にて儒道仏道ましおとりの論を成す者多し。何れかましなるや。師曰く、夫れは源をくらへて知るべし、釈迦と孔子と徳大にかはれり。その証拠は、今時明徳を用ゆる者、京中に誰かあるや、終に一人も聞かす。仏法は毎日誓願寺等にて姥かゝの念仏をまをすを見よ、大なることに非すや。さて念仏をまをす理、少しも明徳を守るにおとらす。若しおとりたると云はば、その者をつれ来れ、我論して聞かすへし。誠に論まけは、頸をきらるべしとなり。
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『驢鞍橋』卷下一日、人来て曰く、去る者我悟りたり、何事もなしと云ふ有り、如何挨拶有るべきや。師聞て曰く、扨ても笑止千万なること哉。抜から仏法を分別して居めさるゝそうな、能く能く御意見申度こと也。乍去もはや打上て合点めさるまいほとに、是非に及はぬ迄よ、どこぞに持去て鼻に上て秘蔵しめされよと云ふべき也。扨て又自由に頭からぼつ下して云はは、心経を以て云ふべし、五蘊皆空と有り、定て其方も四大五蘊皆空にて有らんずと、是れよりせるべしと也。
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『驢鞍橋』卷上一日因果の理を破る者に示して曰く、我人を打てば人亦我を打つ、人に能く向へは人亦我によし。是れ眼前の道理なり。其上三時業報の因果歴然の仏説明也。然るに仏説を信せぬは、其方は仏より上なり、近頃珍しき人也。亦彼の者誦経すれば口が成仏仕るやと云ふ。師曰、先づ口なりとも成仏するかよきなり。総して今時勤めは心に有りて業にあらすと云ふ者錯多しと也。
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『驢鞍橋』卷下一日去る者曰く、何某和尚は、親切の振あれとも、師を無作法ありと云つて、殊外誹り給ふと云ふ。師聞て曰く、是れ謗するに非ず、彼は始めより出家なれば、何としても作法好し。我は禅門入道なれば悪しと也。又彼者曰く、いや無実を以て謗せらるゝ也。師曰く総而人を悪しく云へば、我好き者に成ると思ふて云ふもの也。彼人左様の初心な処少し有る人と也。
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『驢鞍橋』卷上師一日或る曹洞宗の寺に至る。住持雑談の次てに曰く、某幼少より立ちながら小用せず、炉に唾を吐かず。師聞て曰、其様な事にても無くては出家冥加も有り、早く一寺にも住し、人にも知らるゝ事有るへからず。此上ながら道心冥加の有る様に成り申度し。亦曰、小僧共に能く教へたるが能き也。必ず立ちながら小用させめさるゝな、出家侍の立小用見苦敷物也。炉に唾を吐かせめさるゝな、食物をも灸り、其上香炉の火をも取る物也。総して曹洞宗は、おつゝかみにて律儀なし、誠の道心こそなくとも、行規計りなりとも正しくすべし。責めて是れ程の事なりとも無くんば、人間に生を得たる甲斐なし。皆耻かきに出でたり。我も七十年耻をかき来れりと也。
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『驢鞍橋』卷下つきの日、仏法病ある者を呵して曰く、其方は仏法有り、我は仏法なし。何としても格合ふべからす。向後出入無用也。又曰く、総じて人人此腐物を持ちながら、是れに眼を著けす、余所を沙汰して過す物也。扨て扨て愚也。昨日も正庵大息をつき病み苦むを見て、髄に透ていやな体哉と思はるゝ也。我始めより是れに眼を著けて修す。余所仏法に眼を着けす、今は大事に成り、いやに迫て居ること、其親に離れたそ、子を殺してずと云ふ様なことに非す、中中切也。この年迄如是すれとも、隙え明けぬ故に、是とは云はれねども、乍去我程にしつめたる人も多くはあらじと也。