驢鞍橋 / 卷上
一日武士來て法要を問ふ。師示して曰く、後世を願ふと云ふは、此糞袋を何とも思はず打捨つる事也。是れを仕習ふより別の佛法を知らす、我は若き時より是れ計りを仕習ひし也。先づ千騎萬騎拔きそろへたる備の中に超入り、胴腹を撞きぬかれて、死に死にして死習ひしに、是れは頓て仕習ひて超入られたり。亦谷底に大蛇口を張り居るに飛込み、角に取着き居習ふに、是れも頓て仕習ひて角に取着き居られたり。爰になにもなき坿の下ヘ、只落ちて死んで見るに、中中張合無くして飛ばれさる也。然れとも此比になつて少し飛ばるゝかと思ふ也。各々もなにとも思はず、自由に捨らるゝ程さまざま工みて、此身を捨習はるべし。なる程强き心を用ゐすして叶ふべからずと也。
新字:一日武士来て法要を問ふ。師示して曰く、後世を願ふと云ふは、此糞袋を何とも思はず打捨つる事也。是れを仕習ふより別の仏法を知らす、我は若き時より是れ計りを仕習ひし也。先づ千騎万騎抜きそろへたる備の中に超入り、胴腹を撞きぬかれて、死に死にして死習ひしに、是れは頓て仕習ひて超入られたり。亦谷底に大蛇口を張り居るに飛込み、角に取着き居習ふに、是れも頓て仕習ひて角に取着き居られたり。爰になにもなき坿の下ヘ、只落ちて死んで見るに、中中張合無くして飛ばれさる也。然れとも此比になつて少し飛ばるゝかと思ふ也。各々もなにとも思はず、自由に捨らるゝ程さまざま工みて、此身を捨習はるべし。なる程强き心を用ゐすして叶ふべからずと也。
書き下し
一日武士来て法要を問ふ。師示して曰く、後世を願ふと云ふは、此糞袋を何とも思はず打捨つる事也。是れを仕習ふより別の仏法を知らす、我は若き時より是れ計りを仕習ひし也。先づ千騎万騎抜きそろへたる備の中に超入り、胴腹を撞きぬかれて、死に死にして死習ひしに、是れは頓て仕習ひて超入られたり。亦谷底に大蛇口を張り居るに飛込み、角に取着き居習ふに、是れも頓て仕習ひて角に取着き居られたり。爰になにもなき坿の下ヘ、只落ちて死んで見るに、中中張合無くして飛ばれさる也。然れとも此比になつて少し飛ばるゝかと思ふ也。各々もなにとも思はず、自由に捨らるゝ程さまざま工みて、此身を捨習はるべし。なる程强き心を用ゐすして叶ふべからずと也。
現代語訳
ある日武士が来て、法の要を尋ねた。師は示して言われた。後世を願うというのは、この糞袋のような身を何とも思わずに打ち捨てることである。これを習う以外に別の仏法を私は知らない。私は若いときからこればかりを習ってきた。まず千騎万騎が刀を抜きそろえた陣の中に飛び込み、胴や腹を突き抜かれて死ぬ、死ぬと死に習ったが、これはやがて習得して飛び込めるようになった。また谷底で大蛇が口を開けているところに飛び込み、角に取りついている習いをしたが、これもやがて習得して角に取りついていられるようになった。ところが、何もない崖の下へただ落ちて死んでみるのは、なかなか張り合いがなくて飛べないのである。けれども近ごろになって、少し飛べるかと思うようになった。皆さんも何とも思わずに自由に捨てられるほど、さまざまに工夫して、この身を捨てることを習いなさい。なるほど強い心を用いなければかなわない、と。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『驢鞍橋』卷下一日、僧問ふ。一陣に進む心と云ふは、平生人に手を出さすまじと思ふ心なりや、師曰く、夫れは我慢に云ふ物也。人も兎角と云ひしに非ず、只我身をつんと打捨て懸る入心也。果眼と云ふも、死をきつと定めたる機也。
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論語・述而篇子、顔淵に謂いて曰く、「之を用うれば則ち行い、之を舎つれば則ち蔵る。惟だ我と爾と是れ有るかな。」子路曰く、「子、三軍を行らば、則ち誰と与にせん。」子曰く、「暴虎馮河、死して悔い無き者は、吾与にせざるなり。必ずや事に臨みて懼れ、謀を好みて成す者なり。」
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孫子・九地篇吾が士に余財無きは、貨を悪むに非ざるなり。余命無きは、寿を悪むに非ざるなり。令の発するの日、士卒の坐する者は涕襟を沾し、偃臥する者は涙頤に交わる。之を往く所無きに投ずれば、則ち諸・劌の勇なり。
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葉隠・聞書第二夢が正直のためし。切死(きりじに)、切腹の夢折々(おりおり)見候(みそうろ)うが、勇気すわり候えば、段々(だんだん)夢中(むちゅう)の心持(こころもち)替(かわ)り申し候由(そうろうよし)。
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論語・衛霊公篇子曰く、「賜や、女予を以て多く学びて之を識る者と為すか。」対えて曰く、「然り。非なるか。」曰く、「非なり。予は一以て之を貫く。」