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驢鞍橋 / 卷下

一日、天德院に於て曰く、長老能く心得めされよ。初心の者に强く坐禪抔させめさるゝな。此の前去る寺の僧、久しく拔殼坐禪しけるが、後には光明を發つと云ふ沙汰ありけるが、頓て機違に成る也。又上方にて律師玄俊坊語て云はく、弟子浦及坊久しく禪定に入りけるが、此比眉間より光明出で鼻の先に掛て在ると云ふ、是れ好き事なりや。我聞て扨ても笑止千萬のこと哉。夫れは頓て機違になるべしと云へば、律師大に驚き、なにとぞ方便せよと賴まる、我中々易きこと也。棒を以て打ちめされよと云へば、律師云ふ、比丘は打たぬ法也。我然らば普請をさせめされよと云へば、律師又云ふ、是れも比丘のせぬこと也。又我さらば心經を禮の文にして禮拜をさせめされよ、頓て光は無くなるべしと云へは、律師いふ、如是勤めては、何として光失せ候や。我云はく、先つ何が光と思召ぞ。念が光るなり、念さへ奪へば、光は無くなる也。扨て心經を禮の文にする心は、五蘊皆空無色聲香味觸法の意を示さん爲め也。此の意を能く示めし、躰のつかるゝほど禮をさせめされよ。草臥てはごろりて臥し、醒めば又起て禮をなし、如是四五日もせば、頓て光留るべしと云へば、律師大に肯ひ、右の如く仕給へば、忽ち光失する也。

新字:一日、天徳院に於て曰く、長老能く心得めされよ。初心の者に强く坐禅抔させめさるゝな。此の前去る寺の僧、久しく抜殼坐禅しけるが、後には光明を発つと云ふ沙汰ありけるが、頓て機違に成る也。又上方にて律師玄俊坊語て云はく、弟子浦及坊久しく禅定に入りけるが、此比眉間より光明出で鼻の先に掛て在ると云ふ、是れ好き事なりや。我聞て扨ても笑止千万のこと哉。夫れは頓て機違になるべしと云へば、律師大に驚き、なにとぞ方便せよと頼まる、我中々易きこと也。棒を以て打ちめされよと云へば、律師云ふ、比丘は打たぬ法也。我然らば普請をさせめされよと云へば、律師又云ふ、是れも比丘のせぬこと也。又我さらば心経を礼の文にして礼拝をさせめされよ、頓て光は無くなるべしと云へは、律師いふ、如是勤めては、何として光失せ候や。我云はく、先つ何が光と思召ぞ。念が光るなり、念さへ奪へば、光は無くなる也。扨て心経を礼の文にする心は、五蘊皆空無色声香味触法の意を示さん為め也。此の意を能く示めし、体のつかるゝほど礼をさせめされよ。草臥てはごろりて臥し、醒めば又起て礼をなし、如是四五日もせば、頓て光留るべしと云へば、律師大に肯ひ、右の如く仕給へば、忽ち光失する也。

書き下し

一日、天徳院に於て曰く、長老能く心得めされよ。初心の者に强く坐禅抔させめさるゝな。此の前去る寺の僧、久しく抜殼坐禅しけるが、後には光明を発つと云ふ沙汰ありけるが、頓て機違に成る也。又上方にて律師玄俊坊語て云はく、弟子浦及坊久しく禅定に入りけるが、此比眉間より光明出で鼻の先に掛て在ると云ふ、是れ好き事なりや。我聞て扨ても笑止千万のこと哉。夫れは頓て機違になるべしと云へば、律師大に驚き、なにとぞ方便せよと頼まる、我中々易きこと也。棒を以て打ちめされよと云へば、律師云ふ、比丘は打たぬ法也。我然らば普請をさせめされよと云へば、律師又云ふ、是れも比丘のせぬこと也。又我さらば心経を礼の文にして礼拝をさせめされよ、頓て光は無くなるべしと云へは、律師いふ、如是勤めては、何として光失せ候や。我云はく、先つ何が光と思召ぞ。念が光るなり、念さへ奪へば、光は無くなる也。扨て心経を礼の文にする心は、五蘊皆空無色声香味触法の意を示さん為め也。此の意を能く示めし、体のつかるゝほど礼をさせめされよ。草臥てはごろりて臥し、醒めば又起て礼をなし、如是四五日もせば、頓て光留るべしと云へば、律師大に肯ひ、右の如く仕給へば、忽ち光失する也。

現代語訳

ある日、天徳院で言われた。長老、よく心得なさい。初心の者に強く坐禅などをさせてはならない。以前、ある寺の僧が長く抜け殻の坐禅をしていたが、後には光明を放つという噂があったが、やがて気が違ってしまった。また上方で、律師の玄俊坊が語って言われた。弟子の浦及坊が長く禅定に入っていたが、近ごろ眉間から光明が出て、鼻の先に掛かっていると言う。これは良いことでしょうか。私は聞いて、なんとも気の毒千万なことだ。それはやがて気が違うだろう、と言うと、律師は大いに驚き、どうか方便をしてください、と頼まれた。私は、なかなか易しいことだ、棒で打ちなさい、と言うと、律師は、比丘は打たない法です、と言う。私が、それなら普請をさせなさい、と言うと、律師はまた、これも比丘のしないことです、と言う。私はまた、それなら心経を礼拝の文にして礼拝させなさい、やがて光は無くなるだろう、と言うと、律師は、このように勤めて、どうして光が失せるのですか、と言う。私は言った。まず、何が光だとお思いか。念が光るのである。念さえ奪えば、光は無くなる。さて、心経を礼拝の文にする心は、五蘊皆空、無色声香味触法の意を示すためである。この意をよく示して、体が疲れるほど礼拝させなさい。疲れてはごろりと寝て、目覚めればまた起きて礼拝し、このように四、五日もすれば、やがて光は止まるだろう、と言うと、律師は大いに納得し、そのとおりにされたところ、たちまち光は失せたのである。

解説

長い禅定で眉間から光が見えるようになった弟子を、師は喜んでいたが、正三は、それは気が違う前兆だと見抜く。光の正体は、思いが作り出す幻だ、と。棒で打つ、作務をさせるという案が戒律に触れると言われると、般若心経を唱えながら疲れ果てるまで礼拝させよと勧め、実際に光は消えた。瞑想中の神秘的な体験を特別視せず、体を動かして思い込みを断つという処方は、今日の心の健康の観点からも理にかなっている。

この章句が説くこと

禅病幻覚心経礼拝思い込み方便

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