驢鞍橋 / 卷上
一日示して曰く、修行と云ふはなるほと强き心を用ふる事也。六賊とて六處にて本心を盜む者有り、此賊は我心の弱き處より起る也。然る間機を强く用ゐて、巳が心を睨付けて守るへし。皆聞きそこのうて無常と云はれて、はへ土をかき、無念と云はれてあつかり坊に用ゆる也。大なる錯也。なるほと强き心を守るべしと也。
新字:一日示して曰く、修行と云ふはなるほと强き心を用ふる事也。六賊とて六処にて本心を盗む者有り、此賊は我心の弱き処より起る也。然る間機を强く用ゐて、巳が心を睨付けて守るへし。皆聞きそこのうて無常と云はれて、はへ土をかき、無念と云はれてあつかり坊に用ゆる也。大なる錯也。なるほと强き心を守るべしと也。
書き下し
一日示して曰く、修行と云ふはなるほと强き心を用ふる事也。六賊とて六処にて本心を盗む者有り、此賊は我心の弱き処より起る也。然る間機を强く用ゐて、巳が心を睨付けて守るへし。皆聞きそこのうて無常と云はれて、はへ土をかき、無念と云はれてあつかり坊に用ゆる也。大なる錯也。なるほと强き心を守るべしと也。
現代語訳
ある日示して言われた。修行というのは、なるほど強い心を用いることである。六賊といって、六つのところで本心を盗む者がいるが、この賊は自分の心の弱いところから起こる。だから気迫を強く用いて、自分の心を睨みつけて守りなさい。みな聞き違えて、無常と言われて灰や土をかき回し、無念と言われてぼんやりした坊主のように用いている。大きな誤りである。なるほど強い心を守るべきである、と。
解説
六賊は、目・耳・鼻・舌・身・意の六つの感覚から入り込んで本心を奪うものを盗賊にたとえた言葉である。正三は、賊は外から来るのではなく、自分の心の弱いところから起こる、と見る。無常や無念という仏教の言葉を、無気力に過ごすことだと取り違える者を厳しく批判している。何事にもこだわらないことと、何もしないことは違う。脱力や諦めを悟りと勘違いする危うさを、はっきりと指摘する条である。
この章句が説くこと
六賊本心無常無気力強い心誤解
関連する章句
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『驢鞍橋』卷上一日曰く、今時の修行者、皆古人の嫌道を免かるべからず。大略無門の禅の箴、或は大恵八種の嫌道等に落ち居て、修行と思ひ、法を得たり抔と思はるゝと見えたり。故に抜けがら坐禅を為し、あつか忘然と成りて、物を思はざる処を無念無心と思ふ人あり。是れ大なる錯也。如是用ふる者は機へりて病者と成り、気違と成る也。夫れ仏法の無念無心と云ふは、一切の上に用ふる無念無心也。悲む時も、悅ふ時も、万事の上に使ふ無念無心也。其故は仏涅槃の時、迦葉阿難を始め皆悲み玉ふ。是れをも有心なりと云はんや。扨亦此無念を用ふる坐禅の筋と云ふは、只勇猛心を用ふる一つ也。能く此筋を受くべし。此筋を弁へたる人は、自らの修行弱しと云ふとも、諸の修行者の為めに宝也。
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『驢鞍橋』卷上慶安二の春、洞家の僧来り法要を問ふ。師示して曰く、仏道修行と云ふは自己を守ること也。曹洞宗に老僧も小僧も云ふ事也。自己を取放ちたりと、是れ好き詞也。是れに仍て自己を忘るべからすと云ふ事を、草分の中に書く。此段を能く見るべし。修行の肝要は、自己を守る一つ也。一切の煩悩は機の抜けたる処より起る也。只强く眼を着けて、十二時中万事の上に機を抜かさず。急度張懸けて守り、六賊煩悩を退治すべし。夢中とも抜けぬ程に守らで叶はず。随分守ると思ふても覚えずぬけて、彼の煩悩に負くへし。ともすれば意馬妄想の叢にかけ入り、心猿名利の梢にひよつひよつと移るべし。强く眼を着け、莫妄想の一句を轡づらと成して、急度引詰めて守るべし。刹那も機を抜かすへからすと也。
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『驢鞍橋』卷下彼人問ふ。僧俗によらず、修行は何で仕るや。師示めして曰く、修行と云ふは、生死を離るへき願力を强く起し、縦ひ無間の底に入ても、此の一念心を失はずして、生々世々をかけて、終に生死を出でんと强く守ること也。此の心强ふても、强ふなければならず、如是守るを信心堅固の大とも、修行者とも云ふ也。なにと其方の道心も此の心か。彼者曰く、さ迄の道心にて候はず、縁に触れては、心乱れかはしく候間、先つ十年ほど江戸を離れてあらんと存する也。師曰く、夫げな心にて。道心と云はるべからず。我は本よりさびじいぞ、やかましいぞと縁に障へらるゝと云ふことを知ずと也。
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『驢鞍橋』卷上一日示して曰く、初心行者はいかにもして真実起る様にすべし。真実起らざる先きに無理行抔し、强く坐禅抔すべからす。無理に根機を出し荒行抔すれは、性疲れ機へりて、何の用にも立たす、只在て果す也。何れも覚え有るへし気相悪き時は、常よりも心悪く成る物也。修行と云ふは機を養ひ立つる事也、故に古人も長養といへり。必ず機をへらすへからす。今時無理行をなし、亦ぬけから坐禅をなして、機へりて病者と成り、気違と成る者数を知らす。只志を進め真実を起すへしと也。
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『驢鞍橋』卷上一日語て曰く、我は言句を聞くに、是れは理致にて分かる事、是れは意にて知る、言句によらぬ事ぢやと云ふ事が、聞きと早や胸にて分かる也。各々も修し行せられば、祖意も言句の意も移つるべし。扨亦機の移つると云ふ事知りめされたるか、我も四季の機抔は其儘移つる也。强く錬鍛へて心さへ磨くれば、四時の機も不浄も無常も移つる物なれども、皆機がういて走る程に移つるへき様なし。しつかとした機無くして修行成り難しと也。
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『驢鞍橋』卷上一日意の暗き行者を諫めて曰く、其方は先づ言句を錬鍛べて意に徹すへし。彼者云、某一処を守る機有り、熟せば万事に相応すべき間、言句の意を明めて詮なしと存ず。但し無理に强く修すると、意を受くると差別有りや。師曰、中々意暗くしては修行はかどるべからす、先づ其方は専ら意を受習はるべしと也。