師導古典を学びたいすべての人に

正法眼蔵随聞記 / 仏教

正法眼蔵随聞記の章句一覧

正法眼蔵随聞記(仏教)の名句を、現代語訳と実践の解説つきで。全277句。

道元(一二〇〇〜一二五三)が日々の折にふれて語った言葉を、弟子の懐奘(一一九八〜一二八〇)が聞くままに書き留めた語録です。嘉禎年間、深草の興聖寺での数年間の記録で、全六巻百三十八条。『正法眼蔵』が悟りの側から書かれた大著だとすれば、こちらは修行の入口に立つ人へ向けた話ばかりで、扱われるのは名利、衣食、病、貧しさ、人目、師との関わりといった、そのまま今日の生活に置ける事柄です。道元の主張は短く、繰り返されます。「學道の最要は坐禪これ第一なり」。そして「一文不通にて無才愚癡の人も、坐禪をもつぱらすれば、その禪定の功により、多年の久學聰明の人にも勝るゝなり」。懐奘が、公案を読めば百千に一つは分かることがあるが坐禅には手ごたえがない、それでも坐るべきかと問うと、道元は、手ごたえこそ「佛祖の道にとほざかる因緣なり」と答えます。「無所得無所悟にて、端坐して時を移さば、卽祖道なるべし」。この書がよく読まれてきたのは、時間についての言葉が容赦ないからです。「學道の人は後日をまちて行道せんと思ふことなかれ」。道元は、病が治ったら出家すると自分に約束しながらそのまま死んだ在家の人の顛末を、去年の春から今年の正月までの経過ごと書き留めます。痛みが軽いうちに、重くならないうちに、死なないうちに、と一段ずつ惜しくなる構造を三度示し、住む所と道具を調えてから始めようとすれば「一生空く過すべきなり」と言い切ります。いっぽうで、形から入ることを強く肯定するのがこの語録の特徴です。「まづ身の威儀をさきとしてあらたむれば、心も隨ふて改まるなり」。宋の宗廟で人々が孝養のために泣くまねをしているうちに本当に泣きだす例を引いて、道心がなくても強いて学べば真の道心が起こると説きます。初心の者は自分のやり方を立てず衆に従えばよく、それは「我は漕ゆくやうをも知らざれども、よき船師に任せてゆけば、知りたるも知ざるも彼の岸に至るが如し」だと言います。説話や逸話が多いのも読みどころです。龍門を渡った魚は鱗も身もそのままで龍になる。宇治の関白は、粗末な服では追い出され装束を着ると逃げられたので、その装束を竿にかけて拝みました。建仁寺の僧正は、寺じゅうが食を絶っている日に施された絹を、その日のうちに他人の急場に与えてしまう。慧心僧都は、人に馴れて殺されないようにと、庭の鹿を追い払わせました。「智者の邊にしては負くるとも、愚者の邊にして勝つべからず」、「倉にすむ鼠、食に飢ゑ、田を耕す牛草に飽かず」——仏道の中にいながら道に叶わない者を、こう言います。この書には二つの系統があります。面山瑞方が明和六年(一七六九)に校訂した流布本(六巻百三十八条)と、正保元年(一六四四)の古写本にさかのぼる長円寺本で、いまの学術的な標準は後者です。師導は流布本を採りました。保護期間の満了した版だけで底本と証人を揃えられるからです。底本は『禅門法語全集』第三篇(一八九六)。証人に『承陽大師聖教全集』第三巻(一九〇九)、立花俊道『校註正法眼藏隨聞記』(一九四二)、そして明和六年刊の面山本そのもの(漢字カタカナ交じり)を立て、証人①との一致率は〇・九四六三です。旧刊のOCRは「教」と「清」の二字だけが三点とも揃って読めず、差分では見つからないため、明和刊本の漢字の並びだけを手がかりに百十箇所を一件ずつ決めました。師導では全六巻百三十四条を二百七十七の章句に収め、底本五万五千五百六十二字の百パーセントを覆いました。和書なので読み下し文は原文の旧字を新字に直した同文です。学派は「仏教」に置いています。

『正法眼蔵随聞記』を学ぶ道

かいつまんで学ぶか、全部読み通すか。どちらからでも入れます。

通読 正法眼蔵随聞記・全句通読 全277句を、48回に分けて順に読み通す 全48回
巻一
巻二
巻三
巻四
巻五
巻六

古典を、あなたの毎日に活かす。

名句の現代語訳とやさしい解説を、あなたの学びに。師導で古典をはじめましょう。

師導をはじめる
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる