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正法眼蔵随聞記 / 巻二

亦云く、當世の人多く造像起塔等の事を佛法興隆と思へり、是れ亦非なり、直饒ひ髙堂大觀、玉をみがき金をのべたりとも、是れに依て得道の者あるべからず、只在家人の財寶を佛界に入れて、善事をなす福分なり、亦小因大果を感ずることあれども、僧徒の此の事をいとなむは佛法興隆にはあらざるなり、たとひ草菴樹下にてもあれ、法門の一句をも思量し、一と時の坐禪をも行せんこそ、誠の佛法興隆にてあらめ、

新字:亦云く、当世の人多く造像起塔等の事を仏法興隆と思へり、是れ亦非なり、直饒ひ高堂大観、玉をみがき金をのべたりとも、是れに依て得道の者あるべからず、只在家人の財宝を仏界に入れて、善事をなす福分なり、亦小因大果を感ずることあれども、僧徒の此の事をいとなむは仏法興隆にはあらざるなり、たとひ草菴樹下にてもあれ、法門の一句をも思量し、一と時の坐禅をも行せんこそ、誠の仏法興隆にてあらめ、

書き下し

亦云く、当世の人多く造像起塔等の事を仏法興隆と思へり、是れ亦非なり、直饒ひ高堂大観、玉をみがき金をのべたりとも、是れに依て得道の者あるべからず、只在家人の財宝を仏界に入れて、善事をなす福分なり、亦小因大果を感ずることあれども、僧徒の此の事をいとなむは仏法興隆にはあらざるなり、たとひ草菴樹下にてもあれ、法門の一句をも思量し、一と時の坐禅をも行せんこそ、誠の仏法興隆にてあらめ、

現代語訳

また言われた。当世の人の多くは、仏像を造り塔を建てることなどを仏法の興隆と思っている。これもまた非である。たとえ高い堂、大きな楼閣で、玉を磨き金を延べたとしても、これによって得道する者があるはずはない。ただ在家の人の財宝を仏の世界に入れて、善事をなす福分である。また小さな因で大きな果を感ずることはあっても、僧たちがこの事を営むのは仏法の興隆ではないのである。たとえ草庵や樹の下であっても、法門の一句をも思量し、一時の坐禅をも行ずることこそ、まことの仏法の興隆であろう。

解説

造像起塔の功徳を全面否定してはいない。在家の善事としての福分は認めたうえで、それは僧が営むべき興隆ではないと切り分ける。建物の大きさと得道が結びつかないことを言い、代わりに一句の思量と一時の坐禅を置く。目に見える規模と、目に見えない実質を対比する構図が、この一群の条を貫いている。

この章句が説くこと

興隆造像坐禅一句福分実質

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