正法眼蔵随聞記 / 巻五
時に諸弟人々皆云く、今年の入宋は留まらるべし、師の老病死巳に極れり、死去決定せり、今年ばかり留りて、明年入宋あらば、師の命を背かず、重恩をもわすれず、今や一年半年入宋遲きとても、何んの妨けかあらん、師弟の本意相違せす、入宋の本意も如意なるべしと、時に我れ末臘にて云く、佛法の悟り今はさてかうこそありなんと思召さるゝ儀ならば、御留り然あるべしと、先師の云く、然あるなり、佛法修行これほとにてありなん、始終かくのことくならば、卽ち出離得道たらんかと存すと、我が云く、其の儀ならは御留りたまひてしかあるべしと、
新字:時に諸弟人々皆云く、今年の入宋は留まらるべし、師の老病死巳に極れり、死去決定せり、今年ばかり留りて、明年入宋あらば、師の命を背かず、重恩をもわすれず、今や一年半年入宋遅きとても、何んの妨けかあらん、師弟の本意相違せす、入宋の本意も如意なるべしと、時に我れ末臘にて云く、仏法の悟り今はさてかうこそありなんと思召さるゝ儀ならば、御留り然あるべしと、先師の云く、然あるなり、仏法修行これほとにてありなん、始終かくのことくならば、即ち出離得道たらんかと存すと、我が云く、其の儀ならは御留りたまひてしかあるべしと、
書き下し
時に諸弟人々皆云く、今年の入宋は留まらるべし、師の老病死巳に極れり、死去決定せり、今年ばかり留りて、明年入宋あらば、師の命を背かず、重恩をもわすれず、今や一年半年入宋遅きとても、何んの妨けかあらん、師弟の本意相違せす、入宋の本意も如意なるべしと、時に我れ末臘にて云く、仏法の悟り今はさてかうこそありなんと思召さるゝ儀ならば、御留り然あるべしと、先師の云く、然あるなり、仏法修行これほとにてありなん、始終かくのことくならば、即ち出離得道たらんかと存すと、我が云く、其の儀ならは御留りたまひてしかあるべしと、
現代語訳
その時、弟子たちは人々みな言った。今年の入宋はお留まりになるべきです。師の老病死はすでにきわまっています。死去は決定しています。今年ばかり留まって、明年に入宋されるなら、師の命に背かず、重い恩をも忘れません。今、一年半年入宋が遅れたとしても、何の妨げがありましょう。師弟の本意は食い違わず、入宋の本意も思いのままとなるでしょう、と。その時、わたしは末席にあって言った。仏法の悟りは、今はもうこれでよかろうと思し召される所存であるならば、お留まりになるのがよろしいでしょう、と。先師が言われた。そのとおりである。仏法修行はこれほどでよかろう。始めから終わりまでこのようであるならば、すなわち迷いを離れ道を得たことになろうかと存ずる、と。わたしが言った。その所存であるならば、お留まりになってしかるべきです、と。
解説
この章句が説くこと
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『正法眼蔵随聞記』巻五示して云く、先師全和尚入宋せんとせし時、本師叡山の明融阿閣梨、重病起り病床にしづみ、既に死せんとす、其の時かの師云く、我既に老病起り、死去せんこと近きにあり、今度暫く入宋をとゝまりたまひて、我が老病を扶けて、冥路を弔ひて、然して死去の後其の本意をとけらるべしと、時に先師弟子法類等を集めて評議して云く、我れ幼少の時双親の家を出て、後より此の席の養育を蒙ていま成長せり、其の養育の恩最も重し、亦出世の法門、大小権実の教文、因果をわきまへ、是非をしりて、同輩にも超え、名誉を得たること、亦仏法の道理を知て、今入宋求法の志しを起すまても、偏に此の師の恩に非ずと云ことなし、然るに今年すてに老極して重病の床に臥したまへり、余命存しがたし、再会期すべきにあらず、故にあなかちに是を留めたまふ、師の命もそむき難し、今ま身命を顧みす入宋求法するも、菩薩の大悲利生の為なり、師の命を背て宋土に行ん道理有りや否や、各の思はるゝ処をのべらるゝべしと、
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『正法眼蔵随聞記』巻五故に今度の入宋、一向に思切り畢りぬと云て、終に入宋せられき、先師にとりて真実の道心と存せしこと是らの道理なり、然あれば今の学人も、或は父母の為、或は師匠の為とて、無益の事を行じて、徒らに時を失ひて、諸道にすぐれたる仏道をさしおきて、空く光陰を過すことなかれ、
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『正法眼蔵随聞記』巻五時にかくのことく各の総評し了て、先師の云く各の評議、いづれもみな留まるべき道理ばかりなり、我れが所存は然あらず、今度留りたりとも、決定死ぬへき人ならば、其に依て命を保つべきにもあらす、亦我れ留りて看病外護せしによりたりとて、苦痛もやむべからす、亦後に我あつかひすゝめしによりて、生死を離れらるべき道理にもあらす、只一旦命に随て師の心を慰むるばかりなり、是れ即ち出離得道の為には一切無用なり、錯て我が求法の志しを障へしめられは、罪業の因縁とも成ぬへし、然あるに若し入宋求法の志しをとげて、一分の悟りをも開きたらば一人有漏の迷情に背くとも、多人得道の因縁と成りぬへし、此の功徳もしすぐればすなはちこれ師の恩をも報しつへし、設ひ亦渡海の間に死して本意をとげずとも、求法の志しを以て死せば、生々の願つきるべからす、玄奘三蔵のあとや思ふへし、一人の為にうしなひやすき時を空く過さんこと、仏意に合なふべからず、
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『正法眼蔵随聞記』巻一我れ其の時自ら思はく、設ひ発病して死すべくとも猶只是れを修すべし、病ひ無ふして修せず、此の身をいたはり用ひて何の用ぞ、病ひして死せば本意なり、大宋国の善知識の会下にて、修し死に死して、よき僧にさばくられたらんは先づ勝縁なり、日本にで死せば、是れほどの人に如法仏家の儀式にて沙汰すべからず、修行していまだ契悟せざらん先に死せば、結縁として生を仏家に受くべし、修行せずして身を久く持ても詮無きなり、なんの用ぞ、況や身を全ふし病ひ起らじと思はんほどに、知らず亦海にも入り横死にもあはん時は、後悔いかん、
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『正法眼蔵随聞記』巻六示して云く、学道の人は後日をまちて行道せんと思ふことなかれ、たゞ今日今時をすごさずして、日々時々を勤むべきなり、爰にある在家人長病せしが、去年の春のころ、予にあひちぎりて云く、当時の病ひ療治せは、必定妻子を捨て、寺の辺に庵室をかまへむすんで、一月両度の布薩にあひ、日々行道法門談義を見聞して、随分に戒行を守りて、生涯を送らんと云ひき、その後種々に療治せしに依て、少き元気あり、しかれども亦再発ありて、日月空くすごしき、今年正月より俄に大事になりて、苦痛次第にせむるほどに、日来支度する庵室の道具をはこびて作るほどのひまもなき故に、先づ人の庵室をかりて住せしが、わづかに一両月の中に死し去りぬ、
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『正法眼蔵随聞記』巻五示して云く、古人多くは云ふ、光陰空く度ること莫れ、亦云く、時光徒らに過すことなかれと、今学道の人須く寸陰を惜むべし、露命消やすし、時光速かにうつる、暫くも存する間た余事を管することなかれ、唯須く道を学すべし、今時の人、或は父母の恩を捨て難しと云ひ、或は主君の命は背き難しと云ひ、或は妻子眷属に離れ難しと云ひ、或は眷属等の活命存し難しと云ひ、或は世人誹謗しつへしと云ひ、或は貧ふして道具調ひ難しと云ひ、或は非器にして学道に堪へかたしと云ふ、かくのごとく情を廻らして、主君父母をも離れず、妻子眷属をもすてず、世情に随ひ、財宝を貧ぼるほどに、一生空く過して、正しく命終の時に当ては後悔すべし、須く静坐して道理を案し、速かに道心を起さんことを決定すべし、主君父母も我に悟りを与ふべからず、妻子眷属も我が苦みを救ふべからず、財宝も我が生死輪廻を截断すべからず、世人も我をたすくべきにあらず、非器なりと云て修せずんば、何れの劫にか得道せんや、只須く万事を放下して、一向に学道すべし、後時を存することなかれ、