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正法眼蔵随聞記 / 巻三

曹溪の六祖は、新州の樵人にて、薪を賣て母を養ひき、一日市にして客の金剛經を誦するを聽て發心し、母を辭して黃梅に參ぜし時、銀子十兩を得て、母儀の衣糧にあてたりと見にたり、是れも切に思ひける故に、天の與へたりけるかと覺ゆ、能々思惟すべし、是れ最もの道理なり、

新字:曹渓の六祖は、新州の樵人にて、薪を売て母を養ひき、一日市にして客の金剛経を誦するを聴て発心し、母を辞して黄梅に参ぜし時、銀子十両を得て、母儀の衣糧にあてたりと見にたり、是れも切に思ひける故に、天の与へたりけるかと覚ゆ、能々思惟すべし、是れ最もの道理なり、

書き下し

曹渓の六祖は、新州の樵人にて、薪を売て母を養ひき、一日市にして客の金剛経を誦するを聴て発心し、母を辞して黄梅に参ぜし時、銀子十両を得て、母儀の衣糧にあてたりと見にたり、是れも切に思ひける故に、天の与へたりけるかと覚ゆ、能々思惟すべし、是れ最もの道理なり、

現代語訳

曹渓の六祖は、新州の樵で、薪を売って母を養った。ある日、市で客が金剛経を誦するのを聞いて発心し、母に別れを告げて黄梅に参じた時、銀十両を得て母上の衣食に当てたと見えている。これも切に思ったゆえに、天が与えたのであろうかと思われる。よくよく思惟すべきである。これがもっともの道理である。

解説

前条の一般論に、六祖慧能の実例を重ねる。薪を売って母を養う身であった点が、問うた僧の境遇と重なっている。銀十両が手に入ったのは、切に思ったから天が与えたのだろうと読み、偶然を志の結果として受け取っている。両立の道が実際に開いた例として置かれている。

この章句が説くこと

発心方便六祖金剛経

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