正法眼蔵随聞記 / 巻一
亦云く、大衆不對の時、我れ南泉ならば、大衆既に道不得と云て、便ち猫兒を放下してまじ、古人の云く、大用現前して軌則を存せずと、
新字:亦云く、大衆不対の時、我れ南泉ならば、大衆既に道不得と云て、便ち猫児を放下してまじ、古人の云く、大用現前して軌則を存せずと、
書き下し
亦云く、大衆不対の時、我れ南泉ならば、大衆既に道不得と云て、便ち猫児を放下してまじ、古人の云く、大用現前して軌則を存せずと、
現代語訳
また言われた。大衆が答えられなかったとき、私が南泉であったなら、大衆はすでに言い得なかったと言って、すぐに猫を放してやったであろう。古人は言っている、大用が現前するときには決まった軌則によらない、と。
解説
直前で「言い得ても言い得なくても斬る」と言った同じ口が、ここでは「放しただろう」と言う。矛盾ではなく、決まった正解がないことを二度にわたって示している。引かれる「大用現前不存軌則」は、はたらきが現れる場では前もっての規則が通用しないという意味で、道元がここで自分の言い分を二つ並べたこと自体がその実演になっている。
この章句が説くこと
判断規則大用現前公案南泉斬猫自在
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