正法眼蔵随聞記 / 巻六
學道の人たとひ悟りを得ても、今は至極と思ふて行道をやむることなかれ、道は無窮なり、悟りても猶行道すべし、むかし良遂座主の麻谷に參ずる因緣を思ふべし、
新字:学道の人たとひ悟りを得ても、今は至極と思ふて行道をやむることなかれ、道は無窮なり、悟りても猶行道すべし、むかし良遂座主の麻谷に参ずる因縁を思ふべし、
書き下し
学道の人たとひ悟りを得ても、今は至極と思ふて行道をやむることなかれ、道は無窮なり、悟りても猶行道すべし、むかし良遂座主の麻谷に参ずる因縁を思ふべし、
現代語訳
学道の人は、たとえ悟りを得ても、今はこれで至極だと思って行道を止めてはならない。道は窮まりがない。悟ってもなお行道すべきである。昔、良遂座主が麻谷に参じた因縁を思うべきである。
解説
証りの後の修行を説く、修証一等につながる一段。良遂座主は学識で名のあった講師で、麻谷宝徹に参じて自分の学が届いていなかったと知った人。悟りを終点と見た瞬間に道が閉じる、という戒めが短く置かれている。
この章句が説くこと
悟後の修行無窮行道慢良遂道
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