正法眼蔵随聞記 / 巻一
示して云く、設使我れは道理を以て云ふに、人はひがみて僻事を云ふ、理を攻て云ひ勝つはあしきなり、亦我は現に道理と思へども、吾が非にこそと云て、はやくまけて退くもあしばやなり、只人をも云ひ折らず、我が僻ことにも謂はず、無爲にして止みぬるが好きなり、耳に聽人れぬやうにして忘るれば、人も忘れて嗔らざるなり、第一の用心なり、
新字:示して云く、設使我れは道理を以て云ふに、人はひがみて僻事を云ふ、理を攻て云ひ勝つはあしきなり、亦我は現に道理と思へども、吾が非にこそと云て、はやくまけて退くもあしばやなり、只人をも云ひ折らず、我が僻ことにも謂はず、無為にして止みぬるが好きなり、耳に聴人れぬやうにして忘るれば、人も忘れて嗔らざるなり、第一の用心なり、
書き下し
示して云く、設使我れは道理を以て云ふに、人はひがみて僻事を云ふ、理を攻て云ひ勝つはあしきなり、亦我は現に道理と思へども、吾が非にこそと云て、はやくまけて退くもあしばやなり、只人をも云ひ折らず、我が僻ことにも謂はず、無為にして止みぬるが好きなり、耳に聴人れぬやうにして忘るれば、人も忘れて嗔らざるなり、第一の用心なり、
現代語訳
示して言われた。たとえ自分は道理をもって言っているのに、相手はひがんで筋の通らないことを言うとき、理を攻めて言い勝つのは悪いことである。また、自分は現に道理だと思っていながら、いや自分の非でしたと言って、さっさと負けて退くのも早まったことである。ただ、人を言い負かしもせず、自分の僻事だとも言わず、何もせずにやめてしまうのがよい。耳に入れないようにして忘れてしまえば、相手も忘れて怒らないのである。これが第一の用心である。
解説
言い争いへの対処として、勝つことも譲ることも退けている。勝てば相手に遺恨が残り、偽って譲れば道理のほうを曲げることになる。そこで第三の道として、勝負をつけずに立ち消えにさせよと説く。忘れれば相手も忘れるという観察は、争いが言葉のやりとりによって育つものだという見方に立っている。無為にして止むという言い方が印象に残る条である。
この章句が説くこと
争い道理無為忍耐言葉用心
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