正法眼蔵随聞記 / 巻四
古人云く、奢て上賢にひとしからんと思ふことなかれ、賤ふして下賤にひとしからんと思ふことなかれと、云こゝろは、共に慢心なり、高ふしても下らんことを忘るゝことなかれ、安ふしても危からんことを忘るゝことなかれ、今日存するとも明日もと思ふことなかれ、死の至てちかくあやふきこと脚下にあり、
書き下し
古人云く、奢て上賢にひとしからんと思ふことなかれ、賤ふして下賤にひとしからんと思ふことなかれと、云こゝろは、共に慢心なり、高ふしても下らんことを忘るゝことなかれ、安ふしても危からんことを忘るゝことなかれ、今日存するとも明日もと思ふことなかれ、死の至てちかくあやふきこと脚下にあり、
現代語訳
古人は言った、奢って上の賢者に等しくなろうと思うな、賤しくして下の賤しい者に等しくなろうと思うな、と。言う心は、どちらも慢心である。高くしても下ることを忘れてはならない。安らかでも危ういことを忘れてはならない。今日生きていても明日もと思ってはならない。死が至って近く危ういことは、足もとにある。
解説
上に並ぼうとするのも、下に合わせようとするのも、どちらも慢心だと言う。前の条で基準を上げよと説いた直後にこれが置かれているのが面白く、比べる相手を替えることと、比べて並ぼうとすることが別だと分かる。結びの、危ういことは足もとにあるという一句が短く鋭い。
この章句が説くこと
慢心無常死安危謙古人
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