正法眼蔵随聞記 / 巻五
故に今度の入宋、一向に思切り畢りぬと云て、終に入宋せられき、先師にとりて眞實の道心と存せしこと是らの道理なり、然あれば今の學人も、或は父母の爲、或は師匠の爲とて、無益の事を行じて、徒らに時を失ひて、諸道にすぐれたる佛道をさしおきて、空く光陰を過すことなかれ、
新字:故に今度の入宋、一向に思切り畢りぬと云て、終に入宋せられき、先師にとりて真実の道心と存せしこと是らの道理なり、然あれば今の学人も、或は父母の為、或は師匠の為とて、無益の事を行じて、徒らに時を失ひて、諸道にすぐれたる仏道をさしおきて、空く光陰を過すことなかれ、
書き下し
故に今度の入宋、一向に思切り畢りぬと云て、終に入宋せられき、先師にとりて真実の道心と存せしこと是らの道理なり、然あれば今の学人も、或は父母の為、或は師匠の為とて、無益の事を行じて、徒らに時を失ひて、諸道にすぐれたる仏道をさしおきて、空く光陰を過すことなかれ、
現代語訳
だから、このたびの入宋は一向に思い切った、と言って、ついに入宋されたのである。先師にとって真実の道心と思われたのは、これらの道理である。であるから今の学人も、あるいは父母のため、あるいは師匠のためといって、無益なことを行い、いたずらに時を失って、諸々の道に勝れた仏道をさしおいて、空しく光陰を過ごしてはならない。
解説
長い評議の結末を一文で述べ、明全の道心はこの判断に現れていたと道元は読む。そのうえで、聞き手へ引き渡す。父母のため師匠のためという名分で無益なことに時を費やすなという結びで、話が過去の逸話に終わらず、今の学人の日々に接続される。
この章句が説くこと
決断道心光陰父母師匠無益
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